「盲獣村」
其ノ三 奇形談義


「ところで先生。僕は今日、こんなものを手に入れましてね」
 そう言って新聞記者・船越茂が黒い革鞄から取り出したのは、ある一枚のDVDであった。それを見た探偵と少年助手は、目を丸くしながら互いに顔を見合わせた。
「アッ。それは『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』の北米版DVD〔リージョンフリー〕ではありませんか!」
「ははは、その通りです。リージョンフリーです。政府の検閲を受け、長らく発禁処分の憂き目をみていた『恐怖奇形人間』のDVDがこの度アメリカで発売されたのですよ。そして、その発禁DVDが中野ブロードウェイイカモノ書店“タコシェ”で輸入販売されているという噂をさる筋より入手しまして、今日こうして中野にやって来た次第なのです」
 話を聞いていた探偵と助手は再び顔を見合わせ、やがてニコリと微笑んだ。
「大林くん。あれを出してくれ給え」「ハイ、先生」
 探偵に促され、大林少年が脇の肩かけ鞄から取り出したものは、船越の見せたものと寸分違わぬ同じ品、『恐怖奇形人間』のDVDであった。
「アッ、まさか先生も北米版『奇形人間』を!?」
「いかにもリージョンフリーの北米版さ! つくづく君とは気が合うようだね、船越氏。僕らもこの発禁DVDを購うために中野にやって来たのだよ」
「すると、我々は『恐怖奇形人間』の取り持つ縁でこうして邂逅出来たということになりますね。やあ、なんたる奇縁だろう」
 かくして、二人は朗らかに笑いあいながら、互いの猟奇趣味を称揚しあったのである。
「万歳、万歳、猟奇ばんざい!」
「万歳、万歳、奇形ばんざい!」
「万歳、万歳、タコシェばんざい!」
 一同は立ち上がり、薄暗いカフェーの店内で高らかに万歳を三唱した。上機嫌の探偵は助手の大林少年に命じて、土方巽岩礁で舞った暗黒舞踏を余興として躍らせた。そして女給のナミは、曲馬団のハツヨが歌った裏日本の子守唄を美声をもって吟じたので、場はいよいよ盛り上がった。
 新聞記者・船越茂はその晩、大いに笑い、そして大いに飲んだ。こんなに快活な気分で酒を飲んだのはいつ以来か、彼にはまるで思い出すことが出来なかった。映画について人前で熱く語ったことも、実に久しぶりのことであった。この晩の邂逅は隠者の如き彼の人生にたった一筋照らされた眩いばかりの光明であり、映画に対する熱い想いの残滓をようやく自覚することが出来たのである。
 別れ際、船越は探偵の手を握り、熱意の篭った目で言った。
「先生、僕は今宵、映画に対する情熱が戻ってくるのを感じました。もはや僕には映画を作ることは出来ないでしょうが、僕に出来る形で、これからも映画に関わり続けていくことにしますよ。そう思わせてくれたのは先生、あなたのお陰です!」
 ヒモロギ氏もそう言われて悪い気はせず、助手の大林少年の頼りなく細い肩を借りて千鳥足をもつれさせながらも、上機嫌のうちに揚揚と家路へと着いたのである。
 しかし翌朝、日課のはじめとして2chの探偵板をチェックしていたヒモロギ氏は驚いた。2ch探偵板のなかの一スレ「【開業したは】映画探偵ヒモロギを見守るスレ その4【いいけれど】」の書き込みの中に、昨夜カフェー「けもの部屋」で交わした会話の内容が事細かにうpされていたのだ。なおかつ、探偵の言い放った「奇形ばんざい」という発言の言葉尻を捉えられ、ヒモロギ氏は近代的デモクラシーに背を向けた封建性の権化、不具者を見世物扱いして嘲笑する差別主義者であるとして、一大非難の的となっていたのである。(つづく)