(7)奇怪な紙しばい

 ところかわって、荻窪あたりのしずかな屋敷町での出来事です。
 その日の夕焼けは、かの怪監督タランティーノをも大いに魅了した『吸血鬼ゴケミドロ』のまがまがしい夕陽の色にそっくりでした。いまにして思えば、この夕焼けは、これから帝都に起こる世にも恐ろしい大事件を、一千万都民にあまねく警告していたのかもしれません。

 不吉なゴケミドロ・レッドの夕焼けを背にして、人気のない住宅街を、口笛ふきつつ意気ようようと歩く少年の姿がありました。かれは小学五年生の舞木大輔くんといって、駅前の商店街で買い物をおえてお家に帰るとちゅうなのです。小わきには、外国映画のDVDのはいった包み紙を、さも大事そうにかかえています。
「ああ、うれしいな。うれしいな。なんたって、チョンチョンの初主演作だもんね。しかも初回限定版が手に入るなんて、僕は本当に運がよい少年だぞ。ウフフフフ……」
 舞木くんはひとりごとを言ってにやにや笑ったり、包みを両手でぎゅっと抱きしめたりほおずりをしたり、そうかと思えば『雨に唄えば』みたいに通りの街灯に飛びついて歌いだしたりと、まるで気がふれたようなうかれぶりです。
 といいますのも、このごろ舞木少年はお姉ちゃんの影響で韓流に熱中するようになったのですが、なかでも一番大すきな韓流少女アイドルのチョン・チョンチョンちゃんの初主演映画DVD『女体渦巻独島』初回限定版を発売日に首尾よく手に入れることができたため、すっかり有頂天になっているというわけなのでした。
「ゼイ、ゼイ……早く帰って、キムチを食べて腹ごしらえをして、あかすりをして体をきよめて、半島の方向に向かって日課の土下座をして、それからDVDを観るんだ。ウフフ、たのしみだなあ。ゼイゼイ……」
 韓流に熱中するようになってから、舞木君の食事はキムチとチヂミだけになり、そのせいですっかり体がよわり、小児ぜんそくにかかってしまいました。ご両親やお姉さんは舞木少年のいきすぎた韓流ぐるいをたいへん心配されていましたが、とうの舞木君はむしろ、いのちを削って韓流にわが身をささげる行為をほこらしくさえ思っていたのです。

「チョーン、チョーン」
 ふとどこからか、さびしげな拍子木の音が聴こえてきました。舞木君がキョトキョトあたりを見回すと、人通りのない通りから、さらにわきに入ったせまい小道のその奥で、客寄せの拍子木をうつ陰気な紙芝居屋のすがたが目に止まりました。
「オヤ、ふつうの子どもはとっくにお家に帰っているこんな時間に、しかもあんなに奥まったところで客寄せをしているだなんて、なんてへんてこな紙芝居師だろう」
 ふしぎに思った舞木くんが近づいて見てみると、紙芝居師のおじいさんは格好までもがとてもへんてこなのでした。うす汚れたかすりの着物のうえに、けものの皮をなめしたチョッキをはおり、足にはゲートルを巻き、荒縄を腰帯がわりに巻いて、まるで山奥の猟師かきこりか、そうでなければこじきのような、なんとも奇怪でワイルドでみすぼらしいかっこうです。
 紙芝居のおじいさんは、誘蛾灯にかどわかされた羽虫のようにフラフラ近寄ってきた舞木少年に気づくと、おいで、おいで、とゆっくり手まねきをして、「お代はタダじゃよ、観ていかんかね」と、いかにもやさしい口調で言いました。
「うーん……でもぼく、これからお家で韓国映画のDVDを観なきゃなんないんです。だからおじいさん、また今度ね」
 そう言って、元きた道に戻ろうとした舞木君の腕を、紙芝居師はぐいとつかんで、紙芝居の舞台が設置された自転車のところまでなかば強引に引きずっていきました。とても老人とは思えないきびんな動きと力の強さです。舞木君はその乱暴なふるまいにすっかりびっくりしてしまって、おもわず『REC』の女主人公みたいなやかましい悲鳴をあげてしまうところでした。
「ワッ、はなしてください! はなしてください! ぼくは急いでいるんです」
「まあまあ、そう言わずに。フム、君はどうやら韓流が好きみたいじゃね。そうじゃのう……たとえばチョン・チョンチョンなんかは好きかね?」
「えっ……チョンチョンですって? 大好きです! 三度のチゲより大好きです! もしかして、チョンチョン主演の紙芝居なの?」
「うむ、そんなところじゃよ。わしが考えたオリジナルストーリーじゃ」
「うわあ、そいつはすごいや! おじいさんはグッドイナフ! みせて! みせてください!」
 舞木君はぜんそく発作の苦しみも忘れるほどにこうふんし、目をかがやかせながらおじいさんに紙芝居をせがみました。
「ハハハ……そうあわてなさんな。あわてるこじきは……エート、なんじゃっけ、あわてるこじき……ああ、そうそう、あわてるこじき異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか、というではないか」
「いわないよ。最初の何文字かしか合ってないよ。こじきはいくらあわてたとしても水爆を愛したりしないよ」
「細けえことはいいんじゃよ……うむ、お客はきみ一人しかおらんが、まあよかろう。それでは始めるとするかな」
 なぞの怪紙芝居師はエヘンとひとつせき払いをしてから、さもぎょうぎょうしい手つきで芝居舞台の木枠の観音びらきの扉を開きました。するとそこには、

「片目の魔王 北一輝 対 空飛ぶ出稼ぎ韓流アイドル」

という世にもふしぎな怪タイトルが、血のように赤くしたたる文字で、荒々しくなぐり書きされていたのです。