(9)裏窓の怪老人

 あやしげな紙芝居男のもとをあとにした舞木君は、その後はみちくさをすることなく、まっすぐ帰宅しました。そして、いつものように夕飯のキムチを食べ、あかすりで体をきよめ、朝鮮半島の方角へ向かってふかぶかと土下座をすると、自分の部屋にこもって、買ったばかりの韓流映画『女体渦巻独島』のDVDをプレーヤーにセットしました。
「まったく、あの山出しじいさんのせいで、とてもバッドイナフな気分だよ。こうなったら、夜どおし『女体渦巻独島』をくり返し再生してフィーバーしちゃうもんね。わっ、やばい、テンションあがってきた! 木曜の夜だけどテンションあがってきた! いえーい! もくよう・ナイト・フィーバー!」
 舞木君は、うれしさのあまり、パジャマのえりをトラボルタのようにピンと立てると、ベッドのうえに立ち上がり、両手を糸まきぐるまのようにくるくる回転させたり、テンポよく前後に腰を振ったり、両ひざを内側に折って床につけ、それをまた元にもどす、といった動作を繰り返すことによって前方へ移動したりと、たいへんじょうずにビー・ジーズの「You Should Be Dancing」を踊りたおしました。今でこそ韓流ひとすじの舞木君ですが、ディスコ世代のお父さんの影響で、赤ん坊のころから『サタデー・ナイト・フィーバー』を何百回となく観ていて、映画のなかのダンス・シーンはほぼ完ぺきに再現することができたのです。そして今でも、何かうれしいことがあると、体がかってにフィーバーしてしまうのでした。
「ワハハハハ、うまいうまい」
 とつぜん、じぶんしかいないはずの部屋に人の声がひびいたので、舞木少年は、ボスの若妻がヤクの吸いすぎで心肺停止してしまったときのトラボルタのように、あわをくってしまいました。
「な、な、なにものだーっ!?」
「ウフフ……お父さまのお仕込みがいいのね。腰づかいがいいわ」
「まきのオーブンでにしんのパイを焼くキキを見まもる老婦人のモノマネで、ぼくをおちょくっているのは、だれだっ、だれなんだっ!?」
「ここさ。ここにいるよ。ワハハハハ……」
「アッ、あなたは……」
 カーテンのかげからヌッと現れたのは、なんと、れいの紙芝居師ではありませんか。この男は、カーテンのかげにかくれ、舞木君のワンマンライブショーをずっとぬすみ見ていたのです。
「こんばんは、舞木君。いや、じつによいものを見せてもらったよ。気分は『裏窓』のジェームズ・ステュアートじゃわい」
「さては、ただの紙芝居屋ではないな。おじいさんは一体なにものです!?」
「何をかくそう、わしの正体は怪盗なのさ。どうだね。わしの侵入にぜんぜん気づかなかっただろう? わしにインポッシブルなミッションはないというぐあいさ……おっと、さわいでもむだじゃぞ。家族は全員ねむりぐすりで眠らせてあるからね」
「そんな……お願いです! 見逃してください!」
 舞木少年は、立てていたパジャマのえりをただすと、怪老人のあしもとにバッタリとひれ伏して、土下座をしました。
「お願いです、見のがして下さい! 僕がいままで必死にあつめたお宝を盗むだなんて、そんなひどいことは、どうかかんべんしてください!」
「ふん。きみの部屋のいったいどこにお宝なんてあるというんだね」
「エッ……?」
「どれもこれも、くだらない韓流アイドルのグッズばかりじゃないか。まるでそびえたつクソだ。みんな等しく価値がない」
 老人は身なりに似つかわしいらんぼうな言葉づかいになり、舞木君のお宝の山をののしりながら、チョッキのふところからギラギラと光る大きなマチェーテ(山刀)を取り出し、舞木君にじりじりとせまりました。
「ワハハハハ……おとなしく言うことを聞けば、いのちだけは助けてやろう」
 本性をあらわした怪老人は、舞木君にとびかかり、ほそびきで手足をしばりあげました。そして、何をするかと思えば、部屋のざぶとんにあぐらをかいて座り、むかいに舞木君を正座させて、彼の韓流ぐるいについて、こんこんとお説教を始めたのです。ああ、なんということでしょう。こんなことをする泥棒なんて、いったいぜんたい、はたしてあるものでしょうか。盗っ人たけだけしいとは、まさにこのようなことを言うのではないでしょうか。
「よいかね。わしはなにも、きみの好きな韓国や韓流アイドルをしんから否定しておるわけではない。君のような感性の新しい若ものがそこまで入れこむのだから、コンテンツとしての魅力もほんの少し……まあ21グラム相当くらいはあるのかもしれん。しかし、君たち前途ある少年少女には、おしきせのはやりものばかりではなく、もっと上流の作品や文化にふれてほしい、そして、本当に良いものを、自分のちからで探し出すよろこびを知る……そんな大人になってほしいんじゃ。仮想現実に取りこまれ、与えられたものばかりで満足する『マトリックス』の人類のようにあわれな大人になってしまうことを、わしは心から惜しむのじゃ」
「お、おじいさん……そこまで他人の僕のことを考えてくれるなんて……」
 怪盗老人の不敵なお説教は、少しだけ舞木少年の心を動かしましたが、しかしあまりに話がくどく、お説教は八時間の長きにわたって、インターミッションなしで行われたため、からだの弱い舞木君は、やがてぜんそくの発作を起こしてしまいました。
「きゅ……吸引器を……」
「コラッ、人がお説教しているのに、なにをゼイゼイしたりキョロキョロしたりしておるのじゃ。紙芝居のときもそうだったが、ひとの話を最後まで聞かないのは君の悪いくせじゃな。礼儀知らずの韓国人が作ったコンテンツにばかり接しておると、こんな不作法な子どもになってしまうのじゃな、かわいそうに」
「ゼイゼイ、お願いだから……僕を吸引器のところまで連れてって……」
「いかんいかん。そんなホイチョイなことではいかん。もう少しで終わるのだから、ちゃんと正座して話を聞きなさい」
 舞木少年は手足をしばられているので、机の上の吸引器を取りに行くこともできません。いよいよおだぶつだ……とかんねんした時、外でにわとりの鳴き声がきこえ、怪老人の顔色がサッと変わりました。
「いかんいかん、夜が明けてしもうたわい。わし、熱中すると時間のたつのを忘れるタイプなのよね。……というわけで、きみもこれからは、もっとわしが盗みたくなるような価値あるDVD、ブルーレイ、映画のパンフや限定グッズなどをそろえておくように。今回はわしからのせんべつとして、これをくれてやろう。このDVDを観て、もっとまっとうなコンテンツについて勉強しておくんじゃよ」
 山男の老人は、けもの皮のチョッキのふところから一枚のDVDを取り出し、それを舞木君に無理やり押しつけました。そのDVDとは、名にしおうジブリ映画の佳作『借りぐらしのアリエッティ』でした。
「……ど、どうしてアリエッティ……?」
「フフフ……それはね……」
 だがしかし、舞木少年は怪老人の答えを聞くことはありませんでした。なぜなら、発作と寝不足ですいじゃくしきっていった舞木君は、そのままスーッと意識をうしなってしまったからです。

 その後、ねむりぐすりの効きめが切れたお家の人が舞木君の部屋にかけこむと、モニタには『借りぐらしのアリエッティ』が映っていて、ベッドには、ほそびきで縛られた舞木君がぜんそくの吸引器をくわえたまま倒れていたのです。

 これが、やがて帝都を恐怖のどん底にたたきおとすことになる連続映画事件「映画説教強盗」第一報のてんまつでした。
 はたして、山男のようなかっこうをした怪老人の正体とその目的は、いったいなんだったのでしょうか。また、老人はなぜ舞木少年にアリエッティのDVDを渡したのでしょうか。これにはいったい、どんな意味があったのでしょうか。読者諸君も、ひとつ、明晩の金曜ロードショーで放映される『借りぐらしのアリエッティ』をすみずみまで観て、このなぞを解いてみてはいかがですか。

 ああ、それにしても、我らがヒモロギ小十郎と映画少年探偵団の面々は、あの二十世紀FOX面相だけでなく、このような奇怪きわまる怪人とも対決しなければならぬさだめなのでしょうか。