(10)カフェー「けもの部屋」

 帝都をうごめく好き者、のけ者、猟奇者が夜な夜なつどう新宿のカフェー「けもの部屋」の奥まった一卓に、赤いほっぺたをへこませながら、ストローでミルキセーキをのむ、かわいらしい少年の姿がありました。女給の過剰なサービスが売りである大人のお店で、まったくものおじすることがない怪少年といえば、われらが少年映画探偵団の大林団長をおいて、他にはそうありますまい。
 大林君は、なじみの女給が通りかかるたび、二言、三言、笑顔で言葉を交わしながらも、カフェーの入り口をずっと気にしているようすでした。

「アラ、宣雄くんじゃない! ひさしぶりね」
 そう言って、きゅうに脇から大林くんに抱きついてきたのは、なじみの女給のひとり、マチコさんです。
「あっ、こんばんは、マチコさん。でも、前に来たのはおとついですよ」
「あら。いやねえ。だから久しぶりって言ったのよ」
 郷里にのこした弟のおもかげがあるのだといって、大林君をたいそうかわいがっているこの少女女給は、ショートボブの黒髪をさらさらとゆらしながら快活に笑いました。なんでも、『レオン』でナタリー・ポートマンが演じた少女マチルダにあこがれて、このような髪型にしているのだそうで、お酒がはいると「いつかジャン・レノみたいにすてきな殺し屋のおじさまがやって来て、私をここから連れ出してくれるのよ」と、「Shape of My Heart」の鼻歌まじりに、そううそぶくのが彼女のくせなのでした。
 そのマチコさんが、ジョッキいっぱいになみなみとつがれたビールを持って、大林くんの隣にすとんと座ると、さっそくかぱかぱと杯をあおり始めました。
「ぷはーっ、ウイーッ、フォーッ、ヴェンデッター」
「ははあ、あいかわらずの飲みっぷりですね」
「まあね、ウイーッ、ヴェンデッター。……アラッ? そういや、きみのお師匠はどこにいらっしゃるの?」
「ヒモロギ先生は、今夜はこちらにいらっしゃいません。今夜は僕一人きりで、ここで人と会う約束をしているのです」
「なあんだ。このビール代はあいつにつけてやろうと思ったのに。まったく、ジェフリー・リボウスキなみに役に立たないへぼ探偵ねえ」
「先生はへぼ探偵なんかじゃありません!」
 マチコさんは、弟みたいな大林君をこうやってわざと怒らせてからかうのが大好きなのです。ヒモロギ先生のわるくちにほっぺたをふくらませる大林くんがいとしくてしかたがないマチコさんは、調子にのってさらに探偵の悪口を続けます。
「だいたいあいつ、映画探偵とかいってるけどさあ。一番好きな邦画は『XX エクスクロス 魔境伝説』とか言ってるし。ぶっちゃけ、ありえないよね。実はあの人、映画を見る目がまるでないよね」
「そ、そんなことありません! 『XX エクスクロス 魔境伝説』はチェーンソー装備の鈴木亜美と巨大ハサミ使いのゴスロリ小澤真珠がそうぜつなキャットファイトをくりひろげるという、本当にすばらしいB級映画です。それに、さいきん先生は『東京物語』を初めてごらんになって、『この小津とかいうおっさんの作る映画はとびきりZENKAIおもしろいね!』と大変感心しておられましたので、いま一番好きな邦画をきけばきっと『東京物語』と答えられるはずです」
「なんで今ごろ小津を初見なのよ。映画探偵って、そんなんでいいの?」
「小津は深作健太氏と並び立つ名監督だと褒めておられました」
「だから、なんで名監督の指標が深作健太なのよ。映画探偵って、まじで、まじでそんなんでいいわけ?」

 などと、少女女給と少年探偵が他愛のないおしゃべりを楽しんでいたその時、カフェーのドアがらんぼうに開けはなたれる音がしました。店内のお客さんの何人かは、そばの女給に対するなんらかのハラスメントの手を止めて、入り口のほうへと目をむけました。

 ドアの内側にかけられた紐のれんを、ゲイリー・オールドマンばりに大げさな仕草でかきわけて、ずかずかと入店してきたその男は、はでな柄シャツの襟を立たせ、牛革の真っ赤なレザージャケットをはおり、いかにもチンピラ風のいでたちです。その男は、オレンジ色の色眼鏡からのぞく眼光をギラつかせながら、しばらく店内を見回していましたが、大林君の姿をみつけると、そちらに向かって大股で近よってきました。
 ああ、いったいこの男は何ものでしょう? もしかして、店のふんいきに似つかわしくない大林少年を排除するためにやってきたお店の番人でしょうか。もしくは、今夜のけんかの相手を探している街のあらくれ、無頼もののたぐいでしょうか。あるいはもっと恐ろしい、たとえば、かの怪人「二十世紀FOX面相」の手下のような、犯罪一味の一人かもしれません。なんにせよ、かたぎの人間でないことだけはその風ぼうから明らかです。このような絶体絶命を、大林少年たった一人できりぬけることが、はたして出来るのでしょうか。