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「盲獣村」
其ノ二 二人の出遭い


 さて諸君。探偵小説というものの性質に通暁せらるる読書家の諸君は、物語中において名探偵と賞揚される人物が具備する、「名探偵」たりうる最大にして唯一の条件について、恐らく既に(もしくは無意識ながらも体感的に)ご存知なのではないだろうか。それは、とにもかくにも変態であるということである。もしも「変態」が差別的、あるいは誤解を招きかねない表現であるというならば、「偏執的」と言い直しても差し支えないだろう。

 紳士然とした学者肌・颯爽たる快男児・偏屈で不潔な中年男……名探偵の外面は多種多様なれど、彼らの内面に通底しているのは、一種の偏執性である。一般人からしてみれば一種きちがいじみているとしか思われぬような、些事に対する異常なまでの拘りが、往々にして多くの難事件を解決に導く糸口となっていることは、熱心な読者諸兄にとっては釈迦に説法、ことさらに例示を交えて解説するまでもあるまい。

 名探偵たちの偏執的素養は何処に由来するのだろうか。先天的なものか、あるいは後天的に体得したものなのか、それは解らない。だが、名探偵の標たる偏執性は、彼らと対決する犯人が抱え込んだ心の闇よりも、よっぽど深いところからジクジクと染み出した大暗黒物質の結晶であるのかもしれない。なにしろ、探偵の常軌を逸した偏執性は、時に犯罪者の異常性を遥かに凌駕することがあるのだ。正義の狂気と悪の常軌。それは探偵小説なる狭くて広い小宇宙における真理であり、その異常性の逆転劇こそが、探偵小説の醍醐味の一つと言っても過言ではないだろう。

 ヒモロギ小十郎は三鷹で映画探偵事務所を開業して間もない、新進気鋭の映画探偵である。ヒモロギ氏は、かつて稀代の悪党「怪人二十世紀FOX面相」の企てた「桃色豹事件」「蝿人F事件」「裸のランチ事件」といった不可思議極まる怪犯行を次々と解決に導いたことで、一躍世に躍り出ることになったが、その推理は強引かつ思慮を欠いたものも少なくなく、世評としては毀誉褒貶相半ばといった具合である。まだ名探偵と呼ばれる高みには達していないヒモロギ氏ではあったが、先述した「偏執性」という観点から演繹的に考えるならば、彼は名探偵たりうる素質を万全に備えた稀代の猟奇者であった。

「ところで諸君。洋画が生み出した四大怪物といえば……何だと思うかね?」
「先生。先生。それはいわゆる"ユニバーサル・モンスター"のことを仰っているのでしょうか。それなら簡単です! 吸血鬼・狼男・フランケンシュタインの怪物、あとは……あれ、ええと……」
「ははは、君もまだまだだね、大林くん。故郷の尾道では映画神童などと呼ばれていたそうだが、ここ帝都じゃそうは問屋がおろさないぜ」
「……もしかして、半魚人かしら」
「おお、成程。『大アマゾンの半魚人』は『ジョーズ』に先駆けた大名作だものね。さすがナミくんだ。女給にしておくには惜しい洞察力だよ。しかし、半魚人映画は後が続かず、一流派を形成するには至っていないから、残念だがそれも違うよ、ナミくん」
「ううん、わからないや。先生、勿体ぶらずに教えてください! そうしないと、僕はなんだかへんになってしまいそうです! 頭がパンクして、いもしない"さびしんぼう"の幻覚を見てしまいそうです!」

 週末の夜。中野のカフェー「けもの部屋」では、シェリー酒に酔ったらしい映画探偵ヒモロギ氏が、少年助手とカフェーの女給を相手に、何やら独自の映画論をぶっていた。
「洋画の四大怪物。それはね、吸血鬼・狼男・フランケンシュタイン、そして、"ベトナム帰りの精神異常者"さ!」
 そう言うと、探偵は陽気に笑いながらシェリー酒の残りをぐいとあおり、『タクシードライバー』や『エクスタミネーター』、あるいは『地獄の謝肉祭』の例を挙げながら、"精神に異常をきたしたベトナム帰還兵"がいかに劇中で"悲運のモンスター"役として機能してきたかを淀みない口調でつらつらと解説してみせた。
「『地獄の謝肉祭』なんて、ベトナム帰りのきちがいが食人嗜好に目覚めて人を喰い始めて、しかも噛まれると食人嗜好が伝染するなんていう設定なのだから、帰還兵はアウトサイダーどころかモンスター以外の何者でもないね。ははは。お国のために戦った英雄をつかまえてあの扱い、してみれば実にひどい話だ。アメちゃんは帰還兵どころか銃後も鬼畜だよ」
「ご説ごもっともです、先生。実にすばらしいお話ですね」
 突然、別のテーブルに座って会話に聞き耳を立てていたらしい男が、手を叩きながらヒモロギ氏たちのテーブルに近寄ってきた。
「今晩は、先生。初めまして。先生は映画に関してなみならぬご見識をお持ちのご様子だ。本当に素晴らしい。ところでこいつは僕の提案なのですがね、そこにゾンビも加えて五大モンスターとしてやっては如何でしょう?」
 男は、ヒモロギ氏が何も言わぬうちにナミの隣席にチャッカリと腰を降ろし、そして一座の輪に強引な形で加わわった。
「して、先ほどのご論考にはゾンビの存在が見落とされているような気がしましてね。私はゾンビが好きなものですから、気になってしょうがない。そのあたり、そちらの大先生に是非伺ってみたいのですよ」
「なんですか、あなたは。失礼じゃないですか。勝手に話に割り込んでくるなんて!」
 立ち上がりかけた大林少年を、隣席のヒモロギ氏は手で制した。ヒモロギ氏は馴れ馴れしくも挑戦的な男の態度に一瞬だけ面食らったようであったが、落ち着き払った態度でただ一言「Are you talkin' to me?」とだけ言った。これは、デ・ニーロ演じる『タクシードライバー』の主人公トラヴィスが、劇中で鏡の自分に向かって言い放つ名台詞の口真似である。映画好きの二人の間には、これ以上気の利いた言葉など必要なかった。闖入者の男は瞬く間に相好を崩し、そしてすっかり気分を良くしたものとみえ、改めて自らの非礼を深々と詫びた。船越茂と名乗るその男は、ヒモロギ氏に引き続きの同席の許可を請うた。ヒモロギ氏はそれを快諾し、かくしてカフェー「けもの部屋」の夜は賑やかに更けゆくのであった。(つづく)