(5)血まみれ農夫

「オヤッ、なんだかおかしいぞ。いつも見なれているはずの探偵ランキングが、今日にかぎって、こんなにへんてこに感じるのはいったいなぜだろう?」
 大林君は首をかしげながら、くりくりとした大きな瞳を皿のようにして、何度も何度もランキングをみつめなおして、そしてようやく異変に気づきました。
「ウワーッ、せ、先生の名前がどこにも載ってないや! ディヴァイ〜ン!」
「どうした大林君! なにやら奇怪なS.E.(サウンド・エフェクト)がきこえたぞ! いったいなんの音だ!?」
 卓上に置かれっぱなしの受話器から、大林君が新聞を取りに行ったきり、長いことほったらかしにされながらも辛抱づよく待っていた平良警部の声が聞こえてきました。
「あっ、すみません。今のはぼくが『ピンク・フラミンゴ』初見時に匹敵するレベルの大衝撃を受けて、尻もちをついてしまった時に流れるS.E.です」
「へえー。なんとも珍妙で面白いS.E.だね。こんど俺にも使わせてよ」
「警部には、ご自宅が全焼してしまったときの専用S.E.『イケア〜!』があるじゃないですか」
「あれは使い勝手が悪いんだよ。家なんてそうそう全焼しないじゃん」
「いや、そんなS.E.談議をしている場合じゃありません。それより警部、いったいこのランキングはなんなんです? 公開されている20位までの名前のなかに、ヒモロギ先生のお名前が入っていないじゃありませんか。さては誤植ですね?」
「誤植なものか。それが君の尊敬するヒモロギ大先生の実力というやつさ。やつの黄金時代も終わりも終わりを告げたということだね。いや、ついに化けの皮がはがれた、と言ったほうがよいのかもしれんが」
「な、なんてことを! と、と、取り消してください! 先生は、二十世紀FOX面相の牢破りによって獲得ポイントが撤回された不条理に対してスネてみせているだけです。だって、悪人をつかまえるまでが探偵のお仕事で、捕まえたあとの刑務所のふてぎわは先生に責任ありませんもの。だからけっして、ヒモロギ先生の探偵術の腕まえがおとろえたわけではありません!」
 敬愛するヒモロギ先生の悪口を言われると、ふだんは冷静ちんちゃくな大林少年助手も、チキン呼ばわりされたマーティ・マクフライのようにカーッと頭に血がのぼってしまうのでした。
「いやいや、ヒモロギ小十郎の探偵力はいよいよ底をついてしまったのだと、俺は思うね。やつに残っているのはもはや、ささやかな過去の栄光ばかりさ。これからは『レイジング・ブル』の終盤みたいにちっぽけな余生を送るのだろうね。ハハハ……」
「い、言うにことかいて、先生をジェイク・ラモッタ呼ばわりとは、いくら先生のご友人でいらっしゃる平良警部でも許せません! 先生はジェイク・ラモッタじゃない、ロッキー・バルボアです。中野の種馬です。ビル・コンティの勇壮なしらべを背に、何度だって立ち上がるのです。僕はいつだってそう信じているのです!」
「ふん、そんなものは弟子のひいき目というものさ。あーあ、俺もとんだ時間をむだにしちまったぜ。ファック」
 そう言い捨てると、警部は一方的に電話を切ってしまいました。

 大林君は腹が立ってしかたありませんでした。なぜって、彼が神さまのようにあおぐ神探偵ヒモロギ小十郎が、探偵ランキングの圏外に追放されてしまったうえに、先生の友人であるはずの平良捜査係長が、まるで手のひらを返したように先生を悪しざまにののしり始めたのです。これは、名探偵を崇拝する少年助手にはまったく耐えられないしうちでした。まるで、たいせつな仏像やゾウを悪漢にうばわれたトニー・ジャーみたいに、少年の小さな胸は怒りと悲しみで爆発すんぜんなのでした。
 怒りのやり場のない大林君が床に寝ころがり、気がふれたように手足をじたばたさせてくやしがっておりますと、奥の書斎でゲームに興じていたヒモロギ先生からうるさいときつく叱られましたので、開化アパートの階段の踊り場に場所をうつし、そこでまたきちがいじみたじたばた踊りを再開しました。そして、じたばたに熱中しすぎるあまりに我をわすれ、うっかり階段から転げ落ちてしまいました。はたから見ると、大林少年助手の一連の行動はまるで本物のきちがいのようですが、大林君はそれほどにくやしかったのです。読者諸君も、きっと大林君と同じような気持ちではありませんか。
「いたた……これがぼくの故郷尾道の階段だったら、たましいが抜け出してしまい、一緒に転落した女の子と人格が入れ替わってしまうところだったよ……おや? 入れ替わるだって……? ぼくがあいつで、あいつがぼくで……?」
 全身きずだらけの大林君は、自分でつぶやいた独りごとを何度もはんすうして、そのうちにハッと気づきました。
「入れ替わる……そうか。つまり、先生の代わりに僕が難事件を解決して、獲得したポイントはすべて先生名義にしてしまおう。そうやって、先生をランキング上位に返り咲かせれば、先生のやる気も復活するんじゃないだろうか……そうだ、きっとそうにちがいないぞ!」
 大林君は血まみれの顔をふくのももどかしく、事務所の書斎に駆け込んだので、さすがのヒモロギ先生もギョッとしてしまいました。
「わーっ、血まみれ農夫の侵略だーっ」
「先生、おちついてください。血まみれ農夫じゃありません、ぼくです。大林です」
「ああ、大林君か。びっくりした。いやまあ、わかってたけどね。まじでまじで。……ときに、そのありさまはなんだい。まるで『血まみれ農夫の侵略』のようじゃないか。観たことないけど」
 大林君は事務所のパソコンをいじってなにやらカチカチと作業を行っていましたが、やがて顔をあげると、血まみれの顔でニッコリと笑いながら高らかに宣言するのでした。
「先生、ぼくは決めました。ぼくは、先生の忠実なしもべとして、先生の代わりに探偵ポイントを荒かせぎするちびっこピラニア軍団、『少年映画探偵団』をけっせいします!」