『トロピック・サンダー』

地獄の黙示録』は今でこそ戦争映画の金字塔とされていますが、撮影中はトラブル続きで監督のコッポラさんはめちゃんこ大変だったそうです。ハーヴェイ・カイテルの降板に始まり、マーティン・シーンは心臓麻痺でダウン、マーロン・ブランドは肥えすぎちゃって役に合わない、そのうえデニス・ホッパーとたいそう仲が悪く、そのデニスさんはといえばヤク中でアーウー言うばかりでロクに台詞が覚えられず、大金はたいて作ったセットは台風に破壊され、レンタルした軍用ヘリは地元のフィリピンが政情不安のためロケ地を見捨てて本物の戦地目指して飛び去っていく始末。ここまで不幸が続くともはやギャグでしかないですね。僕がコッポラさんの立場だったら、心労のあまりコッポラ・コッポラ・バヒンバヒンとか言う茶魔語的なギャグフレーズを編み出しつつ、撮影を放り出してアメリカに逃げ帰り、もう映画はコリゴリぶぁーいっ、と叫びながら飛び上ったところで画面が静止し、画面がキューッと円形にしぼみ、顔部分を残して暗転、そこで静止画が再び動きだし、画面の前の視聴者に向かって「さいなコッポラ!」などという、言葉遊びとしてまったく成立していない謎の文言を言いのこして終了、という情けない結末となっていたことでしょう。コッポラ先生は超偉いからその後ちゃんと映画を完成させてオスカーとカンヌを獲ったんだけどね。

 そんな『地獄の黙示録』制作時のエピソードをヒントに作られた(と思われる)コメディ映画が『トロピック・サンダー』。ベトナム戦争映画を撮影中の監督が俳優の我儘・無能ぶりに激怒し、連中を麻薬密売組織の潜む危険なジャングルに放り込むというお話。劇中劇(各俳優の主演映画のトレイラー集と劇中映画『トロピック・サンダー』クライマックスシーン)のふざけっぷりが愉快すぎます。僕はもうこれから一生、まじめに『プラトーン』を観ることができない体質になってしまった。

 監督兼主演のベン・スティラーが彼の俳優としての出世作メリーに首ったけ』のシナリオにどの程度絡んでいたのか全然知りませんが、本作のギャグのノリは『メリー』と同質でした。ハリウッドをコケにするというテーマの裏で、不具者ネタ・知的障害者ネタ、黒人ネタ、愛すべきパンダをぶっ殺して皮をはぐ動物虐待ネタ、幼児を川にブン投げて笑いを取る幼児虐待ネタなど、「弱者」の笑い飛ばしっぷりに余念がなく、そのあたりが見ていて大変好ましい。

 権威や強者をネタにして笑いをとったり風刺したり、みたいなことは日本だったら江戸時代の狂歌とか、あるいはもっとずっと遡って建武の新政あたりの頃から、このごろ都にはやるものー、夜討強盗にせ綸旨ー、なんつったりなんかして、それはもう大昔からいろんな人がネタ見せをしてきてるわけですから、もういい加減飽きてるじゃないですか。えーっ、その「無知な為政者あるあるネタ」200年くらい前もやってたじゃーん、俺それ見たよーっ、みたいなかんじで。そもそも簡単なんですよね、権力に対する風刺なんて。相手が強大なほどチューニングが必要ないから不器用な馬鹿でもできてしまう。たとえば朝日新聞という反日左翼新聞は執拗に首相をネタにした嘲笑記事をせっせと濫造捏造し続けてますけど、あそこまで反国家権力一辺倒なのはなぜかというと、記者の思想が偏っているとか頭がおかしいとかそれ以前に、記事を一個の作品としてまとめるにあたっての腕とセンスに乏しいせい、要するにラクして頭を使いたがらない馬鹿が書いてるからなんですね。右派サイドの人たちが朝日の記事に文句をつけるのは馬鹿にむかって馬鹿に効くクスリを探してつけろと言っているのと同義であり、まあ酷な話ではあります。

 弱者を笑いとばすという発想は、特に戦後は見る機会が少ないし、相応の能力と教養が必要とされるためこれをこなせるコメディアンは日本には皆無でもあるので、弱者を含めて全方位的にものごとをバカにできるベン・スティラーとかファレリー兄弟とか、あとは『サウスパーク』のトレイ&マットあたりにはこれからもコンスタントに作品をリリースし続けてもらいたいところ。
 そういえばベトナム戦争映画『フルメタルジャケット』の実質的主人公、ハートマン軍曹は部下に向かって言いました。
「俺は厳しいが公平だ。人種差別は許さん。黒豚、ユダ豚、イタ豚を、俺は見くださん。すべて……平等に価値がない!」
けだし金言だと思います。この世の真理とさえ思えます。笑いの対象も横並びであるべきで、そこに不可侵領域を設けるのはナンセンス。本作に抗議した米国の障害者支援団体はハートマン軍曹のありがたい訓示をふるえながら拝聴し、人類みな等しく両生類の排泄物をかき集めた程度の値打ちしかないことを体で理解するべく、おしりの穴でミルクを飲むようになるまで軍曹にシゴき倒されればよいのになあガンホーガンホー