『嫌われ松子の一生』

嫌われ松子の一生 通常版 [DVD]

嫌われ松子の一生 通常版 [DVD]


 教職を追われたり、DV作家の情婦になったり、トルコ風呂で働いたり、更に落ちて女囚になったり、あげくの果てには光GENJIに耽溺するキモオタ中年女と成り果て、最後は他殺体で発見されたりするという、どうしようもなくしょっぱい人生を送ってしまった川尻松子の一生をハイテンションな演出で綴った本作。面白く観たけれど、僕の好きな映画ではありませんでした。「面白い」と「好き」は違うというか。

 僕は中島哲也監督の映画界における出世作下妻物語』が大好きで大好きで、あの畳み掛けるようなハイテンションと馬鹿馬鹿しい小ネタと飛躍する発想の洪水に感動、感動も感動、平伏どころか五体投地で銀幕に向かいて礼拝礼賛するほどに監督の技量と天賦の才に舌を30ロールくらい巻きまくっていたのですが、しかながらいかんせん、本作はちょっと……。ちょっとなあ……。僕の感性に従えば『下妻』よりも相対的に駄作です。

 だってどう考えたって、監督の作風と題材とがかみ合っていないんですよ。本物の片平なぎさを出して『火サス』の崖クライマックスのパロディを繰り返し行なうかたわらで(これが監督の本分)、主人公の末路は50代引きこもりゴミ屋敷女でなおかつ他殺死体で発見されるようなまるで救いの無い人生だったりするわけで、笑いどころとおぼしきシーンでも、ストーリー全体に重くのしかかる陰惨な雰囲気に邪魔されてなんだかちょっと上滑り。監督がこの作品をあえて題材に選び、なおかつ自分の作風もあまり変えようとはしなかった理由が、僕にはさっぱりわからない。監督の才と作品の妙、お互いがお互いを殺しあっている。思わず「吸血鬼対おどろおどろかよ!」などと、そんな水木しげるファンしかわからぬツッコミを入れずにはおれないのです。

 かみ合わない作風と題材。たとえるならば、戦士なのにパーティーの後列。魔法使いなのに装備武器が鉄の爪。知力90武力8の文官タイプなのに2万5000の手勢を率いて洛陽に出撃。呂布なのに城内で毎日農地を開墾。クリフトなのにボス戦起用(ボスには効かないザラキを連発)。トルネコなのに馬車の外。悟空なのにバトルの解説担当。ヤムチャなのに地球のピンチに駆けつける(かえって邪魔)。等々、世間には“適材適所”という言葉があるように、題材と監督の間にだって相性・向き不向きというものがある。監督は自分の特性というものを軽んじるあまり、そのうち実写の世界に逃げ込んで実写版『キューティーハニー』なんぞを撮ってしまった庵野監督のようなことになってしまうのではないかと心配です。どうかもっと呆けた題材を下敷きに、底抜け大脱線で時おりお涙ホロリな陳腐で笑える娯楽映画を撮ってください!

 あ、ところで、なんか「トルネコなのに馬車の外」ってフレーズよくないですか。身分不相応な物や人をあらわすたとえとして、ことわざ辞典に載せてあってもまるで違和感がありませんね。どうか定着しますように。