『龍が如く 劇場版』

 ゲームの映画化、というと誰しもが負のイメージをお持ちかと思います。『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』『ストリートファイター』『SIREN』『ハウス・オブ・ザ・デッド』……うわーっ、もうやめてくれっ! なんで君たち映画界関係者各位は、僕の好きなゲームをよってたかってヘンテコな駄作映画に改造してしまうんだッ! このばかっ! ばかっ! このハワード・ザ・ダック(最大級の悪口)!

 というかんじで、ゲームが好きであるゆえに、ゲームが映画化されることには抵抗感とトラウマを持っていたのですが、今回の『龍が如く 劇場版』だけは例外的に前々から期待していました。なにしろ僕が敬愛して止まない三池崇史監督がメガホンを取るのだから、間違いなど起ころうはずもありません。先だっての監督へのインタビューでも「原作のゲームは三日徹夜してクリアした」「ゲームをしてたら途中で感動して泣いた」という原作への愛情あふるるコメントの数々。ますますもって大安心の大安定。

 思うに、今までゲーム映画を作ってきた連中というのは、あからさまにゲームとゲームをする人を見下している。ゲームと言うのは、あくまでゲームだから、しょせんゲームだから、そのまま映画化はできないのである。一段上の文化である映画を作っている我々が文化という名のスパイスを加えてやらねばまともな作品たりえんのである、みたいなノリがあるんですよね、絶対に。なので、スト2の魅惑的悪組織シャドルーは、映画だと「東南アジアの軍事独裁国家」などという中途半端な「リアリティ」という名のスパイスをふっかけられて三文映画に成り下がる。『スーパーマリオ』の舞台はなぜかマンハッタンという実在の都市で、マンハッタンには当然でっけーカメの化物とかいないので、クッパデニス・ホッパーが演じる羽目に。マリオの生息地はマンハッタンではなくキノコ王国だということはそこいらのド餓鬼でも知っている常識なのに、なぜその常識をくつがえすような浅はかな真似をするのだろうか。もうね、怒り心頭ですよ。ゲームの設定にリアリティを与えようとする試み自体が愚かだし、わざわざ言い換えればハワード・ザ・愚かだし、まったくもって奢り高ぶりはなはだしい。いいからとにかくキノコ王国見せろ。でっけーカメ見せろ。と。

 そこにきて『龍が如く 劇場版』はえらかった。ゲームに忠実。上っ面は決して忠実ではないけれど、本質的なところでゲームの設定にすごく忠実でした。たとえば「食事を取ると瞬時に体力が回復する」というゲームならではの不思議設定を、三池監督はあえてそのまま映画内に取り込み、そこを「笑い」という形で貪欲に昇華してみせている。偉大な仕事をなさったものですよ。三池監督だいすっき! 次回作『スキヤキ・ウェスタン・ジャンゴ』も絶対観ます!