牢獄の美女姉妹

 さて。話の舞台は再び鉄仮面が監禁されている土蔵の中へと戻る。
 探偵が土蔵の中へ乗り込む数週間前に出くわした「Y町人間シネラマ殺人事件」。しかし、なぜヒモロギ氏はこの事件を鉄仮面相手に仔細に語って聞かせたのであろうか。
「ヒモロギさん、たしかに『ブリジット・ジョーンズの日記』を使って完全殺人を目論むだなんて、とても興味深いお話にはちがいありませんが、しかし一体、何故そのような話を私に語って聞かせたのです? 私とはまるで関係ない話ではありませんか」
「ははは。それがね。あるのだよ。あるのだが、まあいい。あまり真実を一気に語ってしまうと、きみは体躯に似合わず小心そうな男だから、きっと気がへんになって気ちがい踊りを踊り始めてしまうにちがいない。だから今日はこのへんでやめておこう」
「なんですか、気ちがい踊りって。私はそんな踊りはたしなみません」
「いや、踊るね。きみは絶対に気ちがい踊りを踊るよ。踊り狂うよ。かけてもいい。それほどまでに恐ろしい秘密の片鱗に、僕はいま肉薄しようとしているのだから。だから話をやめるのさ。そんなことよりもさあ、鉄仮面ちゃんよう」
 今まで紳士然としていたヒモロギ氏は、急に街にたむろする愚連隊のごとき口調となり、鉄仮面の肩に手を回し、ニタニタと相好をくずした。
「そんなことよりもよう、僕はさっきから気になってしょうがないのだ」
「そんなことよりもって、それは私の台詞ですよ。あなたがよくわからない話を今までえんえんと喋りとおしていたのではないですか。勝手な人だなあ。そもそも一体、何を気にしておいでなのです」
「君はさっき言ってたよね。隣の房に若いシャム双子の姉妹がいるって」
「ええ、三ヶ月ほど前から、隣の房で生活しています」
「どんな子? ねえ、どんな子よ?」
「私も牢の格子ごしに何度か話をしただけなのですが、かわいい娘たちですよ。顔はまあ、当世風とでもいうのでしょうか、目鼻立ちがくっきりしていて、雪ちゃんのほうは……ああ、姉妹の名は雪子ちゃんと修羅子ちゃんというのですが、雪ちゃんのほうはその名のとおり透き通るような白い肌、修羅子ちゃんのほうは健康的な狐色の肌をしています。、二人とも体は小柄で……」
「肉付きがよいくせに、ツイと抱き寄せグイと抱いたらシナシナと崩れ落ちてしまいそうな体つきとかしてる? どう? どう?」
「よくも勝手にそんな想像をするものですね。まあ、そんなかんじではありますが」
「やったぜ。ヒュウ。他には?」
「雪ちゃんは恋愛映画が好きで、修羅ちゃんはホラー映画を偏愛しています」
「よし、じゃあ僕は修羅子ちゃんだ。修羅ちゃん狙いでいこう」
「はあ。でもいいんですか。シャム双生児ですよ。二人のお尻のあたりが、醜くくっついているんですよ」
「なんだ君は。君は人を見た目で差別する人なのか。そんな筋少のジャケットみたいな見てくれのくせして」
「イエ、そんなわけではありませんが……」
「ふん。シャム双子が僕のタイプなんだよ。ほっといてくれ」
 探偵は憮然とした顔でそう言い放つと、格子の間にぴったりと顔をくっつけて、そわそわと隣の房をうかがい始めた。
 それにしても、と鉄仮面は思った。「好みの娘のタイプは」と問うた場合、ふつうは、黒髪の美しい女性だとか、眼のパッチリとした可愛らしい娘だとか、あるいはレヴュー女優の誰それに似た顔立ちの女だとか、そういった回答が返って来るものである。そこには各人の趣味が大分反映されるにせよ、大筋においてはその彼の主張に対して同調、あるいは不承不承であってもある程度は了解できる程度の普遍的嗜好を少なからず内包しているものである。しかし、この探偵を自称する怪人物のタイプはどうか。さてもさてもシャム双生児がタイプとは、いささか、いや、相当な変わり者ではあるまいか。鉄仮面はこの自称探偵を大いに怪しむと同時に、この人物に対する好奇心を抱かずにはいられなかった。それは、鉄仮面にとっては実に意外なことであった。なにしろ彼は、今まで外の社会から遮断され、名作映画のDVDのみを生涯の友として暮らすうち、絶縁された人間社会に対する興味を失い、今さら生身の人間に興味を抱くことはよもやあるまい、と自分でも考えていたのだ。
 生身の人間から目をそらし心を閉ざすことで、消極的に除外された世界への報復を行なってきた鉄仮面の淋しくも頑なな心は、奇しくも探偵氏の奇なる性癖によって氷解のきざしを見せ始めたのである。
「しかし探偵の先生、どうしてまた、好みのタイプがシャム双生児だなんていう、そんなレアなことになってしまったのです」
「きみの部屋にはDVDプレーヤーしかないようだから、まともにソフト化されていない『フリークス/怪物團』は観たことがあるまいね。あの作品に出てくるシャム双子が僕は大好きなのだよ。サーカス団に所属するシャム双子の妹には婚約者がいるのだが、ショーが終わると男は妹のもとへやってきて、熱い口づけを交わすのだ。むろん妹は愛する男の腕の中でうっとりとしているのだが、なぜか愛し合う二人の蚊帳の外にいる姉までも、密かに恍惚の表情を見せるのだ。シャム双子だから、きっとどこかで感覚を共有しているのだろうね。このシーンを見たとき、幼き日の僕はいつの日かシャム双子の姉妹を抱きたいと心に願うようになり、思えばそれが僕の性への芽生えだった」
「どうにもおかしな映画で性が芽生えてしまったようですね。私の芽生えは『ゴースト ニューヨークの幻』でよかった」
「よくねえよ。それはそれで恥ずかしいだろう。まあいいや。君の性の芽生えなんかについて協議しているヒマなどないのだ。そんなことより、さっさとかわゆいシャム猫ちゃんたちに僕を紹介しておくれ。ああ、楽しみだ。楽しみだ」
 ヒモロギ氏はうれしさのあまり、お尻を突き出し、肩を揺らして、首を振り振りダバダバと歌いながら気ちがい踊りを始めた。ヒモロギ氏が気ちがいのように牢獄じゅうを跳ね回るものだから、鉄仮面は秘蔵のDVDたちが踏み割られでもしないかと気が気ではない。
 双子をさっさと呼ぶに越したことはない、と考えた鉄仮面は手にした棒切れで右端の格子をカンカンと叩き、「雪子さん、修羅子さん」と小声で叫んだ。これが二人の、いや三人の秘密の会合の合図なのであった。
「あら、鉄仮面さん、ご機嫌うるわしゅう」
「鉄仮面さん、ご機嫌うるわしゅう」
 透き通るような声が二重に響いたかと思うと、隣の房の格子窓から生人形のように整った若い女の顔が二つ、ヒョイと現れた。(つづく)