いつわりの大団円

「先生、僕は先生を尊敬しています。尊敬しているからこそ、尾道から単身上京して、こうして住みこみで先生の助手をさせていただいているのです。しかし、一言だけ、一言だけいわせてください。そうやって、すぐになんでもかんでも殺人事件に仕立てあげてしまうのは先生の悪い癖です! 先生の場合、単なる失せ物探しや浮気調査まであたかも殺人事件であるかのような大仰な捜査をされるので、依頼者からの苦情が引きも切らないのですよ」
「まあ待ちたまえ大林少年。そんなにデンデケデケデケと騒ぎ立てないでくれたまえ。僕も男さ。僕の頭の中でひっかかっているモヤのようなものがすっきりと解消されたなら、潔く殺人説を撤回しようじゃないか」
「僕には皆目見当もつかないや。先生はいったい今回の事件のどんなところに引っかかっておいでなのです?」
「うむ。不思議だと思わないかい? 赤テントの会場内に、どうして三十代の女性客ばかりがいたのだろうかね。あの猟奇的な貼紙に、三十女の好奇心を惹起するような要素はまるで見当たらないはずなのだが」
「貼紙? 先生、貼紙っていったい何のことでしょう?」
渡辺文樹風の下劣なキャッチコピー入りポスターのことだよ。街のあちこちに貼ってあったじゃないか。僕はそのポスターに惹きつけられてあの赤テントに赴く仕儀となったのだからね」
「おかしいな。僕は昨日、事務所のおつかいでY町付近をあちこち歩き回りましたが、そんな不気味な貼紙などついぞ目にしたことがありませんでしたよ」
「あのポスターを見ていない? では、会場に集まった三十女たちは、どこであの催しを知ったというのだろう。さっきから僕がひっかかっているのはつまるところそこなのさ。なにしろ三十独身女ときたら、ふだんは家にこもって背中を丸めて結婚祈願の千羽鶴とか折っているような連中だから、まかりまちがっても街角の何気ないポスターに興味をいだけるほど精神的に余裕のある人種ではないのだよ」
「先生は三十代の独身女性に相当の偏見をお持ちのようですが、ともあれ先生の疑念はよくわかりました。さっそく、赤テントに居合わせた三十代独身女性たちの連絡先を調べて、人間シネラマ上映会のことをドコで聞き知ったものであったか、調べてみます」
「それとね、大林少年。亡くなった男の住所も調べておいてくれたまえ」
「はい!」

 かくしてその日の夕方、調査を終えた大林少年がヒモロギ探偵のもとに戻り、その成果を報告した。
「やはり、彼女たちも先生が見たという猟奇ポスターは見ていませんでした。なんでも彼女らの家の郵便受けに、どこぞの化粧品会社のキャンペーン企画の一環と称してオシャレ映画上映会の招待状が届いたんだそうですよ」
「ふん、タダ券が自宅に届いたというわけか。なるほどね。タダなら映画だろうと男だろうと見境がない、という欲望の亡者・三十独身女の性質を巧みについた計画だな」
「先生、さっきからどうしたんですか。先生と三十代独身女性の間に何かあったんですか!?」
「では、死んだ男の所番地は調べてくれたかね」
「はい。名前は井筒広介、住まいはY町室戸一丁目○-××。借家に一人で住んでいたようです。年は二十一、学生ですね」
「室戸一丁目……もしかして、そのあたりのどこかの家の庭に、大きな古椿は植わっていなかったかね」
「ええ、僕も実際に現場を見てきたのですが、井筒氏の家――これがまた立派な邸宅でして、そこに見事な椿が植えられていましたよ」
「やはりそうか、実はね、僕が先日散歩をしていた折、道に迷ったのもそのあたりだったのだ。庭先の見事な椿に見蕩れた僕は、思わず塀から身を乗り出して椿の花を摘んだのさ」
「はあ。先生ともあろうお方が、なんでそんなことをするんです」
「椿の花をたんと持ち帰って、あとでそれを小川に浮かべて『椿三十郎ごっこをやろうと思ったのだ」
「先生は童心をお忘れにならないお方だなあ。僕も見習いたいものです」
「それで、調子に乗って椿の花をパクりまくっていたら、隣家の老人に見つかって、ほうきで尻を何度もはたかれて、そして僕は堪らずに路地の裏へと逃げこんだのさ」
「そして道に迷ってしまわれたのですね。しかし、そんな先生のオッチョコチョイな失敗談と殺人事件との間に何の関係があるというのです?」
「おかしいとは思わないかい? ポスターというものは宣伝いわゆるコマーシャルだ。コマーシャルは、少しでも大勢の人間の目に留められることを本義とする。しかし、今回の猟奇ポスターは滅多に人が通らないであろう椿屋敷の裏路地から野原に至る狭い道筋に転々と貼られているばかりで、大通りにはただの一枚も貼られていなかった。つまり、このポスターを貼った人間は、死んだ井筒青年だけを赤テントに誘い出したかった、という推理は成り立たないかな? 調べればわかると思うけど、きっと井筒青年は僕と同様猟奇を好む性質だったのだろう」
「しかし、もしそうだとすると、犯人が三十代独身女性たちをわざわざ赤テントに招待した理由をどう説明するのです?」
「二つあるね。犯人の目的は井筒氏のみとはいえ、赤テントの客席に一人も客がいなければ、彼とて怪しんで帰ってしまう可能性がある。だから、サクラ、映画でいうところのエキストラが必要だったのさ」
「なるほど!」
「もう一つ。それは証言者を作るためさ。シネラマでその駄作毒素を増幅された『ブリジット・ジョーンズの日記』も、駄作恋愛映画が大好きな三十女にかかっては極めて無害なのだ。連中は鈍感なんだね。だから彼女らは、必然的に『ブリジット・ジョーンズ』の駄作毒で井筒氏が死ぬ様子を間近で目撃することになる。つまり彼女らは、恐らく犯人であろう八の字ひげの団長やサーカス団の連中が彼に一切手を触れていないことを立証する証言者となる」
「なるほど、会場に集められた三十代独身女性は、殺人現場という舞台を盛り立てるエキストラとして、なおかつ殺人者の無罪を立証する証言者として、犯人に二重に利用されていたのですね」
「ははは、その通り。利用されるだけの存在、それが三十独身女の現実なのさ。ははは。ははは」
「先生、大丈夫ですか? 今日は本当にどうしてしまったんですか。三十独身女に何かひどい仕打ちでも受けたのですか?」
「ははは。ははは。ほんとうにいい刀はいつも鞘に収まっているものなんだ。椿三十郎だってそう言っているんだ。それなのにあの女ときたら。ははは。ははは」
「先生、先生、気をしっかりもってください。明日にでもいまの推理を警察でお話しになれば、サーカス団の連中は捕縛され、事件は解決です。しかしそれよりも僕は、先生のことのほうが心配です。……そうだ、とりあえず今夜のところは、カフェーにでも出かけて気持ちを落ち着けましょう」
「カフェーか。うーん、でも、もしも女給が三十女ばかりだったらどうしよう。僕はもうだめだ」
「先生、大丈夫です。今日は行きつけのカフェーに行きましょう。『けもの部屋』なんかどうです? 若い娘がいっぱいいますよ」
「あの女給、なんていったっけ、ホラあの、何も喋らないでスプーンを鋭く砥いでばっかりいる……」
「ああ、ナミさんですね」
「あの娘は、いくつ? 三十超えてる?」
「いいえ、二十二です」
「そうか、やった! これからは二十代の時代だよ! よし、着替えるからちょっと待ってて! 円タク呼んどいて! あっ、ナミちゃんにプレゼント買っていこうかな。でもあの娘、なにが好きなのかな。ぜんぜん喋んないから好みとかわかんないんだもんな。大林少年、きみ知ってる?」
「いいえ、知りません。知りませんし、先生のご趣味は多少お変わりになっていると思います」
 三十代独身女性から受けたらしき心の傷を恢復したヒモロギ探偵の元気な姿に安堵した大林少年は、慣れた所作でもって円タクを呼び、花屋に花束を注文し、そして二人は夜の街へと消えていった。しかし、事件を解決したつもりの二人は、実は今回の事件に隠された秘密を何一つ解き明かしてはいなかったのだ。犯人の真の正体も、殺人の動機も、そして最大の謎、「人間シネラマ」の秘密も。一台のカメラで撮影された『ブリジット・ジョーンズの日記』を、なぜシネラマのワイド大画面で上映することが出来たのだろうか。シネラマフルサイズ上映のためには、本来ならば左スクリーン・中央スクリーン・右スクリーン、合計カメラ三台ぶんのフィルムが必須である。撮影されていないはずの左右二台分の映像を、犯人はどうやって銀幕に再現したのであろうか。これこそが、この読物最大の謎のひとつであるのだが、不幸なことに今宵の名探偵と敏腕助手はカフェーの女給のことで頭がいっぱいで、これ以上推理を深める余裕がなかったのである。そんな中、井筒青年を殺害した悪党がその魔手を更に拡げ、恐ろしい毒蛇のごとき計画をじわりじわりと推し進めていることに、名探偵と称されるヒモロギ氏はもちろんのこと、市民のただ一人として気づくことがなかったのである……。