『ランド・オブ・ザ・デッド』(小結)

ゾンビに包囲された街で暮らす人々は調子こいて階級制度を再構築し、金持ちれんちゅう享楽ざんまい。そこで巻き起こる元傭兵隊長vs街の支配者デニス・ホッパーvs「死の報い」号強奪テロリストvs悪知恵ゾンビの大騒動。ハッスルゾンビ、よつどもえー! といったかんじのハートフルリビングデッドストーリー。おもしろかったです。いやあ、やっぱいいよね、ロメロ先生。


のろのろ歩く、人を食う、噛み付かれた人もゾンビになる、といった現在のゾンビ像の雛形を作ったのは今さら言うまでもなくロメロ先生なのですが、まったくもってすばらしすぎなのですが、今回新たに追加されたゾンビ設定もこれまたすばらしかった。それは「打ち上げ花火があがると、ついつい見とれて動きが止まる」というもの。なにこの設定。うつくしい。うつくしい。ただひたすらにうつくしすぎる。夜空に花開く平割の四号玉は死体の徘徊する廃墟の暗闇を隅々まで照らし、そしてゾンビの群れは焦点の定まらない瞳でもって虚空の花火を見上げ続けるわけですよ。空には花火、地にはゾンビ。かかか、かっけー。僕はもうこのシーンだけでごはん三杯はいけちゃいますね。実際に僕ぁごはんを三杯ほど食べたくなって、ウウウ、ゴハンー、カケツケサンバイー、などとうめきつつ真っ暗な館内を蠢き歩いていたら、前の席に座っていたヤンキーにうるせーと言われ頭をひっぱたかれました。という想像をしながら映画を観てました。


本作のゾンビはガシガシと頭脳進化を遂げていきます。道具は使うし、ガソリンも燃やすし、水の恐怖も克服するしで、『死霊のえじき』きっての大天才バブくんも鈍才に見えます。なにより面白かったのは、ゾンビが「驚く」シーンまで用意されていたということ。ナタでカベをバッシバッシと破壊したゾンビがその破れ目から向こう側を覗くと、とつぜん吊るされた死体がドギャーンと目前に現れ、ゾンビ軍団みんなビックリ! 観客もビックリ! というシークエンス。社会風刺映画という観点からゾンビ映画を撮り、人間の浅ましさを描き続け、必然的にゾンビ側に感情移入してしまっているロメロ先生ならではの演出ですよね。


いやしかし面白かった、とニコニコしながら帰途に着き、新小岩の自宅に帰りました。ところで新小岩という街はあまりガラのよろしくない街で、住んでいるのはブルーカラーとフィリピン人とヤクザと僕、という『ランド・オブ・ザ・デッド』でいえば超高層金持ちタワー「フィドラーズ・グリーン」の外縁に位置するスラムのような街なのです。駅前広場に「チンコ岩」などという巨大なコンセイサマ(男根)のオブジェがあり、それが待ち合わせ場所の目印になっているような街なのです。
駅からの帰り道、駅付近でよく見かけるホームレスと目が合ってしまい、焦点の定まらないゾンビみたいな目でもってガルルとうなられたので困りました。とりあえず摂取カロリー≒戦闘力とみなし、過去数日の僕と彼の食事内容を考慮した戦闘力を瞬時に単純計算してみたところ、僕45000、彼3000という結果になりました。僕と彼の戦闘力はベジータと一般のナメック星人くらいの差があり、つまり楽勝だったのですが、そもそもこんな計算はうそっぱちであり、「喧嘩は腹が減るからよせ」と水木しげる先生扮する妖怪大翁にもきつく言われていたので、そのまま無視してすれ違いました。すれ違うときにすごく臭かった。そういえば劇中、幾百ものゾンビ軍団が渡河作戦を決行し人間のテリトリーに侵入するシーンがあったけど、そのときの臭い、水にぬれた数百の死体のかもしだす臭いたるやそうとうなもんだろうなあ、たった一人でこの臭いだもんなあ、みたいなことを考えたものでした。
僕をいつでもロメロの作品世界にトリップさせてくれる素敵な街、新小岩に乾杯!