『不思議惑星キン・ザ・ザ』(幕下)

不思議惑星キン・ザ・ザ [DVD]

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 着の身着のまま砂漠の惑星ブリュクにワープしてしまった建築技師と学生。地球のマッチをバカみたいに珍重する宇宙人をうまく利用してなんとか地球に帰ろうとするものの、わけのわからぬコントみたいな異星文化に翻弄され続ける二人の労働者同志の行く末はいかに……といったかんじの旧ソ連製SFカルトムービー。資本主義や階級構造への風刺のようなものも見え隠れするのですが、ダウナーでいいかげんなノリや脱力必至のチャトル=パッツ語のせいで高尚なこころみはすべて台無し! だがそれがいい

 基本的にSFってやつは日常感覚からどれだけ逸脱した感覚で世界を描ききれるか、というのがひとつのポイントになるのだと思います。宇宙人が僕らとおなじ感覚を持っていて、やっぱ風呂あがりのアサヒスーパードライは格別だよね、ツマミはあぶったイカがいいよねプハー、とか言ったりするはずがないのですから、そらまあ当然のこと。この映画が、というかこの映画の舞台であるキン・ザ・ザ星雲が僕らの感覚とかけはなれていると感じるのは、僕らとは明らかに異質な日常感覚を帯びていた社会主義国家・旧ソ連の人たちが作ったということも一つの要因なのかもしれません。でも、それをさっぴいたとしたって相当ヘンな映画です。むしろ僕らのイメージから言えば、こんなヘンな映画がよく旧ソ連で作れたものだという感想のほうが先にきます。うーん、もしかしたら社会主義国家ってやつはじつはめちゃくちゃ自由でクールな世界で、僕らは西側権力に共産圏に対するいつわりのイメージを植えつけられていたのではあるまいか。この映画を観たことにより「社会主義国家じつは自由ほんぽう超たのしい説」が僕の中に生まれつつあります。バック・トゥー・ザ・USSR

 この映画を観て誰しもが抱く感想は「あー、おれも“クー”やりてー!」ということでしょう。「クー」というのはキン・ザ・ザ星雲の人たちの挨拶・その他感情表現のほとんどを表す単語で、挨拶として「クー」を行なう場合はそれなりにきちんとした作法があります。まず両頬を手の平で二回かるく叩き、一拍間をおいてから蟹股に膝を開き、両手を斜め下に伸ばし、そして鼻から抜けるような声で「クー」と発声。チャトル人の星にいるときは、パッツ人は鼻にツァーク(鈴)をつけた状態できちんと「クー」をしないと怒られちゃうというルールまで存在。そんなこんなで登場人物たちはしょっちゅうクークーやってるわけです。僕が本作で最も笑った箇所は最初の「クー!」のシーンだし、感動してグッときたのは最後の「クー!」のシーンでした。とにかく全編クーづくし。こんなもん見せられたあかつきには、こっちとしてもものすごく「クー」をやりたくなっちゃってしかたがない。しかしこんな映画を観ているのは少なくとも半径10キロ四方で僕だけっぽいので、無計画のまま勢いだけで外に飛び出て頬をパンパン、元気よくクー! とかやってもクーを返してくれるトモガラなどいるわけがなく、結果僕は単なる地獄の道化師ということになり、それではまるでキュー(マイナスの意味に相当する表現全般に使用される単語)です。でもやりたい。クーやりたい。やりたいなあ。やれるかなあ。やりたいけれど足りないなあ。一般認知度足りないなあ。でも今やりたーい! ということで、僕考えました。まず皆さんのうち『キン・ザ・ザ』を観ていない人は今すぐ観てください。そして観た人は「オレは観た。そして今、猛烈にクーをしたいのだ! いわば“クー待ち”状態だ!」という意思の表れとして鼻にツァークをつけといてください。僕も外出の際は鼻につけます。そして街で二人が出会ったとき、その時こそ一世一代のクーをかましあおうじゃありませんか、クー! ぜったいたのしいよ!