(3)ゆめの香り

「いったいぜんたい、ヴィレッジ・バンガードが大人おしゃれなお店じゃないだなんて、本当のことなんですか?」
 海と坂と階段と尾美としのり以外は何もない尾道から、ネオンかがやく大東京にやって来てまだまもない、ポッと出の山出し少年である大林君は、てっきり帝都おしゃれ業界の最先端だとばかり思っていたヴィレッジ・バンガードを否定され、『ピンク・フラミンゴ』を見せられた山手のおぼこ娘のように激しくろうばいし、スローモーション&逆回しの連続繰り返しによる過剰演出および「ディヴァイ〜ン」などといったおもしろ効果音とともに、リノリュウムの床にみごと尻もちをついてしまいました。

「おいおい、なにもそんなに面白いおどろき方をすることはないだろう」
「すみません。『DEAD OR ALIVE 犯罪者』のラストシーンくらい衝撃を受けたものでつい」
「どんだけだよ。あのね、いいかい、ビレバンはたしかにおしゃれなお店だし、乱歩と澁澤とオーケンが半永久的に平置きされている点などは僕も大いに称揚するところではあるが、しかしけっして大人おしゃれなお店とはいえないね。僕の見立てでは、大学一年生おしゃれ、もしくはデザイン専門学校生おしゃれといったところだ。したがって、モダンな大人おしゃれ女給であるナミさんのお眼鏡にかなう物品はあの店では永遠に手に入らないといってよいだろう」
「ええーっ! ディヴァイ〜ン!」
「だからそれはもういいっつってんだろ」
「な、なんということだろう。尾美としのりを永遠のファッションリーダーとしてあがめたてまつる尾道で生まれ育ったぼくには、ものごとのおしゃれ度合いを見きわめる鑑識眼がまるきし不足しているようです」
「ハハハ……若いうちのビレバンぐるいは、サブカル入門者なら誰しもが一度はかかる“はしか”のようなものだから、そんなに気にせぬがよいだろう。君が尾道的センスで購入してきた品々は、せっかくだから僕がありがたく使わせてもらうことにするよ。どうもご苦労だったね」
 がっくりうなだれる大林少年の両肩に、ヒモロギ先生は苦労しらずのしらうおのような白い五指をそっと添え、ニコニコとほほえみながらやさしく労をねぎらうのでした。弟子のあやまちを頭からしかりつけることなく、あたたかく励ましてくれる師匠のやさしさに感動し、大林君のヒモロギ氏に対する敬慕の念はいっそうつのるばかりでした。しかし、ああ、なんということでしょう! このとき大林少年が購入してきたビレバン商品がもとで、のちに名映画探偵ヒモロギ小十郎は探偵人生最大級の危機に瀕することになってしまうのですが、しかしそれはまだまだ先のお話です。読者諸君は、ぜひこのことを忘れず心にとめておくのがよいでしょう。

 その後、名探偵と少年助手がビレバンのお香を用いた『セント・オブ・ウーマン』ごっこに興じてきゃっきゃと遊んでおりますと、とつぜん事務所の電話が鳴りひびきました。大林少年助手がすかさず受話器を取り、相手の用向きをうかがいます。
「先生、仕事の依頼です!」
 大林君は目をかがやかせながら、目かくしでお香当てクイズにいそしむ探偵に大声で伝えました。
「うん、誰からだね……おっと、何も言わんでいい、チャーリー……身長は170センチ、髪は赤褐色、美しい茶色の目をしている……」
「先生、『セント・オブ・ウーマン』ごっこはもういいんです」
「えっ。ああ、そうなの……」
「そんなことより、警視庁の平良警部からですよ」
 平良警部といえば、泣く子の脂肪もしぼり取る捜査一課の鬼刑事です。そんな偉丈夫が探偵ヒモロギ小十郎を頼るのは、いつだってよくよくの怪事件が起こったときと相場がきまっているのです。いったい今回は、かの鬼刑事は映画探偵ヒモロギ小十郎にどんな難題をもたらすというのでしょうか?