『ゾンビランド』


 リア充と非リア充を簡便かつ効率的に分別する方法はあるか?

 そのような方法は公式には存在しないとされているため、非リア充のごとき生産性の低い無価値なポンコツも無慈悲な民主党政権事業仕分けされることもなく、したがって国会議事堂地下の谷亮子専用柔道場、そこから更に地下50メートルをくだったところにある国営労役場に収容されて意味不明のでっかい歯車を回し続けさせられることもなく、なんの予定もない日曜日の午前中を『ハートキャッチプリキュア!』とか観ながらのんべんだらりと暮らしておるわけです。でもあるんだな。リア充と非リア充を容易に見分けることの出来るたった一つの冴えた設問が。
「あなたはゾンビハザードを待ち望んでいますか?」
 それはつまり「ゾンビ映画を愛していますか」という問いかけと同義。現実社会への執着の低さとリセット願望。自己愛の強さとそれゆえ生じる他者への不信感・排他的思考。破滅欲望。破壊衝動。DT感まる出しな「生き残り女子とのアダムとイブ幻想」。そういった非リア充各位の後ろ向きマインドを全て満たしてくれるのがゾンビハザードの世界なのです。したがって非リア充はみんな揃ってゾンビ映画が大好き! 現実社会に適応できない劣等種をあまさずあぶり出すにはゾンビ映画を観せてみればよい。この恐ろしいウル技が政府にばれたら僕らボンクラは残らず根絶させられてしまうので、お上にゃぜったい内緒だぜ!

 といったかんじでですね。終末世界に憧れる僕らボンクラ系男子は後ろ向きな憧憬に浸りながらゾンビ映画をエンジョイしているわけですが、その一方で、従来のゾンビ映画において僕らボンクラと映画の中の主人公たちは往々にしてシンクロしなかった。ロメロ作品しかり、近年の全力ダッシュゾンビ映画しかり、国産マンガの『ハイスクール・オブ・ザ・デッド』ですら主人公はリア充。僕らの望む終末世界では真っ先に排除されていてほしい存在。『ショーン・オブ・ザ・デッド』や『アイアムアヒーロー』のようにダメ人間が主役と謳うゾンビ作品ですら主人公には彼女と職と社会的地位があるじゃない。それってやっぱりリア充じゃない。しょせん非リア充は非リア充、終末世界になったところで主役になれるはずもなく、ハザードの早期段階でアパートの大家さんあたりがゾンビ化した程度のしょぼい雑魚ゾンビにあっさり噛み殺されてしまって、その後はリア充各位の立てこもるショッピングセンターのまわりをアーウーアーウー言いながら徘徊するあたりが関の山なのか……と暗澹たる気分になることしきりでした。

 そこにきてこの『ゾンビランド』。主人公は友達も彼女も一切いない引きこもりじみた大学生。このボンクラが荒くれマッチョやビッチ系の詐欺師姉妹とパーティーを組んでゾンビ世界を旅したり恋愛したり遊園地に出掛けたりするわけですよ。荒くれ・ビッチといえば、ボンクラが終末世界で仲良くしてみたい存在の両巨頭(現実社会ではおっかなくて近づけないからね)。つまりこの映画には、物質文明への批判や人間の浅ましさといったロメロ的メッセージは特段込められてはいない代わりに、ボンクラなゾンビ映画ファンが自己を投影できる体制を万全に整えてくれているので、没入度は他の作品よりも高かったです。僕にはね。

 とはいえ、本作が現実社会で死に体になっているダメ人間兼ゾンビ映画ファンのために作られたマニアックな映画なのかといえば、実は全然そんなことなかったりします。内容的には浅いお話なのであんまり映画を観ない荒くれやビッチも楽しめるし、中盤でとつぜん出てきてとつぜん退場する本人役のビル・マーレイ(『ゴーストバスターズ』の人)が破壊的に面白いので、ふつうの映画好きの人も十全に楽しめるよ!

 そういえば、本作での二丁拳銃さばきがあまりに素晴らしく、亜州影帝チョウ・ユンファを越えたのではないかと僕の中でもっぱら噂なウディ・ハレルソン(荒くれ役)。この人が登場時からラストシーンまで終始一貫して「トゥインキー」というお菓子を食いたい食いたいと騒ぎながらゾンビに八つ当たりしていたせいで、僕もトゥインキーを食べてみたくなってしまった。このお菓子は日本でも手に入るのかと思い少し調べてみたところ、うーん、なんだか随分と体に悪そうな高カロリーの菓子だなあ。しかもこの菓子を食うと頭がパーになって善悪の判断がつかない状態に陥り人を殺しやすくなるため、裁判では「あー俺トゥインキー食ったんでー」と言えば情状酌量の余地があるそうですよ!(Wikiトゥインキー・ディフェンス」より) それ一体どんな菓子!?