『幻の湖』

 東宝創立五十周年を記念して作られたモニュメント的作品でありながら、あまりの内容のヒドさに一週間で公開が打ち切られ、昨年DVDがリリースされるまでの二十数年間ソフト化されることがなかったといういわくつきの駄作です。いやあ、うわさに違わずヒドかった。僕なんかもう、あまりの退屈さのせいで観ていてだんだん具合が悪くなり、手足の先端にしびれを感じ、やがて幻覚症状をきたして「ひえー、おごれる平家が攻めてくるー」などとわけのわからぬことを叫んで部屋を転げ回り、ほどなく口元からぶくぶくと泡を垂らし、しまいにはチアノーゼ反応を起こして卒倒しちゃいましたもんね。そしてけっきょく意識が回復することなく、僕はそのまま帰らぬ人となってしまったのであった。僕の葬儀の折に配られた葬式まんじゅうは、そのしっとりと舌にからみつく上品な味わいの練りあんと、程よく焦がされたことで馥郁たる香気を放つ皮、なおかつたわわに実った甘夏ほどの重量感が参列者に絶賛され、以後、何気ない会話の中にふと僕の名前が出たときには「そういえばあの人は、生きている時にはこれといって何をしたわけでもない木偶の坊のような人だったが、あの人の葬式で配られた葬式まんじゅう、あれは格別に美味かったな。あんなに美味いまんじゅうが葬式で配られたというだけで、あの人がこの世に生まれてきた意味があったというものじゃないかな」「そうじゃ」「そのとおりじゃ」と皆で言い合ったものであった。

 おかしな方向に筆がすべりまくった結果、僕は映画を観て絶命し、なおかつ葬式で配られたまんじゅうがめちゃウマだったことになってしまっていますが、これはうそだよ。うそだからね。

 閑話休題
 本作のストーリーをかいつまんで説明すると、「トルコ嬢が愛犬を殺した男と一緒に琵琶湖のほとりをマラソンする」といったかんじ。164分も尺のある映画なのに、かいつまむとこんなにもコンパクト。トルコ嬢がえんえんとランニングしているシーン、ムダに凝りまくった戦国時代妄想シーン、わけのわからぬ宇宙シーンという我ら凡俗には理解不能のシーンが映像の大半を占めているため、そういう部分をとっぱらうと後にはなにも残らないんですこの映画。日本文化センターテレフォンショッピングでたびたび紹介される「超圧縮ふとん袋」で超圧縮しないと押入れに収納できず邪魔で邪魔でしょうがない羽毛ぶとん。たとえるならばそんなかんじの映画です。尺が長いくせにつまらない映画にはひたすら厳しい僕です。

 捜し求めていた愛犬の仇がたまたまトルコ風呂にやってくる、という風雲急展開もバカ丸出しなのですが、その後の追いかけっこもたいそうバカっぽく、このシーンだけは面白かったです。
 包丁かざしたトルコ嬢と男との逃げつ追われつのクライマックスシーン、逃げる男も追いかける女もマラソンのフォームとペースでえんえんと琵琶湖のほとりを駆けまわるんですよ。全力疾走して男をブスリとやっちゃえばいいのに、なんでかたくなに自分のペースで走り続けるんだろうか。しかも最後の最後、限界を迎え足の動きを止めた男を刺さずにそのまま追い抜かし、「やった! 勝ったわ!」と大喜びするトルコ嬢うすた京介ギャグマンガのように上滑りなオチがどうにもすてきです。
 でもまあやっぱり、全体的にみるとひどくつまらない作品。DVDがリリースされたことによって、「めったに観られないカルト映画」として珍重される理由すら失ってしまいました。