『けんか空手 極真拳』

 僕は六本木という街が好きではありません。外国人が我が物顔で歩き回っていて、その隣には往々にしてスマしたかんじのバイリン日本人女性がパン助みたいに寄り添っていて、何をしているのかよくわからないけどとにかく一様にごっつい黒人連中が街のあちこちに常駐していて、僕は彼らの横を通り過ぎるたび妊娠させられるのではないかと気が気ではなく、たまらず六本木ヒルズに逃げこめば内部の迷宮的構造に惑わされて六本木遭難。物価は高く、歩いてる人間もどことなく小金を持っていそうなかんじで、東北の寒村の小作農の出である僕などには一生馴染めないであろう街なのです。なので行かない。

 しかしながら、六本木シネマートにて日本空手映画祭が開幕とあっては出かけないわけにもいきません。まったく、なんで六本木で空手映画なんだ。浅草とか下北沢とか新橋とかのもっと貧相な街でやればいいのに。六本木くんだりまで千葉真一のカラテを観にゆかねばならぬ貧相な僕の身にもなってほしい。

 さておき、本日鑑賞してきたのは『けんか空手 極真拳』。面白かった。ソリッド!

 大山倍達のみならず、梶原一騎真樹日佐夫のような極真空手に関わる人間の自伝や物語には常にどこかしらどす黒い狂気が満ちており、そのへんの狂いっぷりがどうしようもなく面白いですね。本作は極真空手プロパガンダ的役割を担っていたのだろうと思うのですが、それにしては千葉真一演じる大山総裁のキャラクターがこっけいなほど破綻していて素敵です。ヒロインが登場するなり大山総裁に強姦されるというストーリー展開にまず唖然としました(しかもそんな事実はない)。曲がりなりにも極真空手の総裁さま、ゴッドハンドさまのお話ですよ。いいんでしょうか。 
「おっ、総裁の映画をやってらぁ。俺たちも総裁の映画を観て、極真空手の真髄に少しでも近づくとしようゼ」
「押忍! 総裁の映画を観ることもまた鍛錬のうちっすね! 『武の道の深求は断崖をよじ登るがごとし、休むことなく精進すべし!』ですからね」
「オッ、総裁の座右の銘第二条ときたか。白帯のクセしてナマ言ってらぁ。ヨシ、映画代は俺のおごりだ、しっかり勉強しろよ」
「押忍!」

みたいなノリで映画を観た真面目な極真の若者たちが、映画館を出てくる頃には
「うへへへ、あそこにマブいスケがいらぁ。ちょっと路地裏に連れ込もうぜ。なあに、ムリヤリでも構うもんか。我らの総裁さまもやっていたことだからナ。『武の道においてはすべてに先手あり』!(座右の銘第三条)」
「先輩、実は俺……」
「なんだお前、まだオンナを知らないのか。ははは、怖気づくことはないゼ。『武の道において真の極意は体験にあり。よって体験を恐るべからず』(座右の銘第十条)」
「そうか、ようし、いひひ、待てー、そこのアバズレー!」

みたいな性犯罪者へと変貌しなかったものか、今さらながら心配です。

 総裁の性格破綻はとどまることを知りません。ふとした弾みででチンピラを殺めてしまった大山総裁は自らの愚挙を悔いて空手を封印、罪滅ぼしのため残された妻子の元に赴き、彼女らの生活を助けるために畑を開墾します。一年後、ようやく妻子に許された総裁は清清しい気持ちで妻子の家を出立。出立するや否や屋根の上には黒装束の殺し屋が潜んでおり、大山総裁大反撃。妻子の家の門前でさっそく殺し屋をボコボコにします。妻子の家族の命を奪った空手で。しかも殺し屋、なんか死んだっぽいし。妻子の家の庭で。

 その後、殺し屋を差し向けた他流派との六十対一の果し合いに臨み、総裁は総勢六十人をやはりボコボコにするわけなのですが、棒術使いの男と戦った時などはすごかった。奪い取った棒を男の咥内に突き刺し、棒の先端は後頭部を貫通。確実に殺してます。殺すどころか惨殺です。彼の一年にもおよぶ懺悔生活はいったいなんだったのか。さすが、わずか五年の間に四十七頭の牛をぶっ殺して動物愛護協会に怒られた大山総裁の倫理観はちと違うゼー。常人の理解のおよぶところではありません。みんなも気をつけようぜ、極真にケンカを売ると牛のように殺されちゃうぞっ!