シネラマ殺人事件

 名探偵ヒモロギが目を覚ますと、そこには見慣れた天井と、心配そうに彼の顔を覗きこむ大林少年の顔があった。
「アッ、先生! よかった、ようやくお気づきになられたんですね!」
「やあ、大林くんじゃあないか。どうしたんだい、そんなさびしんぼうな顔をして」
「心配したんですよ! なにしろ、先生はまる二日お眠りになって、それでもなお目を覚まされる気配がなかったんですもの!」
「ああ、そうだったのか。しかしおかしいな。僕は赤テントで映画を観ていたはずなんだが」
「もしかして覚えていらっしゃらないのですか!? あの『人間シネラマ』なる悪辣な見世物の一部始終を!?」
 名探偵ヒモロギを慕い、故郷の尾道から単身上京してきた大林少年は、若いながらもヒモロギ氏の第一助手として、ヒモロギ氏に代わって事務所の雑務一切を取り仕切るしっかり者である。そのしっかり者の大林少年の口から、語るもいまわしい、後に「Y町シネラマ殺人事件」として多くの人に記憶されることになるひとつの事件の顛末が語られたのである。

「今回ばかりは先生も危ないところでした。なにしろ死にかけたのですよ」
「ははは、馬鹿を言っちゃいけないよ。僕はただ、シネラマを観ていただけじゃないか」
「それでは、先生はあそこでどんな作品をご覧になったか、やはり覚えておいでではないんですね」
「えーと、なんだっけ、たしか洋画だったような……なんかぽっちゃり系の女優がでてくる……レニー・ゼルウィガーが……あっ、そうだ、『ブリジット・ジョーンズの日記』だ! 僕が唾棄してやまない30代女性向けおつむてんてんムービーの代表格を、僕は観たんだ!」
「そうです、先生がもっとも嫌っている作品のひとつである『ブリジット・ジョーンズの日記』と、その続編の『ブリジット・ジョーンズの日記 きれそうなわたしの12か月』の二本立てを、先生はシネラマスクリーンで鑑賞してしまったのです!」
「あわわ、レニーのもっちゃりとたるんだ醜い四肢を、あろうことに僕は大迫力のシネラマサイズスクリーンで観てしまったのだ。思い出した。役作りの成果とはいえ、あの臀部とか、太ももとか、ウェストとか、しかもあの体躯でバニーガールの格好までして……うっぷ、いくらなんでも見るに耐えないよ。きれそうなのはこっちだよ。思い出しただけで、うぷぷ、おえー。おえー」
「あっ、先生。こちらのバケツにどうぞ」
「どうもありがとおえー。おえー。おえー。おえー。おえー。ふう、少しすっきりした。……いや待てよ、あんな妄想映画を観て『感動した』とか『共感した』とかほざいてる30代独身女性の教養のなさ、能天気さ、そして実際レニーに劣らぬであろう彼女ら自身のふくよかぶりを想像したらまた気分が悪く……うぷぷ、おえー。おえー」
「しかし本当に危ないところでした。先生は本当に命拾いをしましたね。なんでも、成人男子があの映画をテレビで観た時に感じる不快感を数値化すると、その不快指数は75なんだそうです。これは『死霊の盆踊り』や『デビルマン』にも匹敵する数値です。それがスクリーン鑑賞になると2倍、シネラマ鑑賞だと更に3乗になるのだそうです」
「すると、シネラマで観ると映画不快指数は150の3乗か。計算できないけど、とにかくすごい数値だ。致死量を余裕で越えているんじゃないのかな」
「実際、この上映会で男が死んでいます。一人だけですが」
「なんだって! あの上映会で人死にが出たのかい!」
「ええ。レニーの弩迫力ヒップを直視したことによる心臓発作が直接の死因だそうです。事故とはいえ、最期に見たものが太ったレニーのおしりだなんて、なんともかわいそうなものですね。彼の人生って、いったい何だったんでしょう」
「……死んだのは、一人だけなのかね?」
「ええ、どうやら観客の殆どは女性、しかも30代で、男性客は先生と死亡した男の二人きりだったようです」
「ふむ……」
「……先生? 何か不審な点でも?」
「どうやらこれは、あながち事故とはいえないかもしれないよ、大林少年」
「なんですって! まさか、これが殺人事件だとでもおっしゃるつもりではないでしょうね」
「確証はないが、その可能性は大いにある。いや、僕の推理によれば、きっとこれは殺人事件だ!」(つづく)