狂気の1×2.88

「一座高こうはござりまするが、御免を被りまして、これより口上を申し上げ奉りまする。何れも様にはご機嫌うるわき態を拝し恐悦至極に存じ奉りまする」

 赤テントの中はがらんとしていて、席には客もまばら、心なしか外気よりも冷え冷えとした空気が漂っている。探偵はコートの襟を立て、首を縮めながら適当な席を探し、そして座った。舞台では八の字ひげにシルクハットの老紳士が弁舌を振るい、その背後には巨大な緞帳。先ほど探偵より先にテント小屋に入ったはずの曲馬団員とおぼしき面々は、煙の如くかき消えていた。

「さて、この度我々曲馬団、海外巡業の折に遠く新大陸はアリゾナ砂漠の峡谷より発掘いたしましたる旧世紀の大遺物を、皆様にとくとご覧頂きたく存じます。何れも様にはかくもにぎにぎしく御見物を賜りまして、座一党いかばかりか、ありがたき幸せと、厚く厚く御礼を申し上げる次第にござりまする」

 口上を終えたシルクハット男は垂れ下がる金色の紐を引く。緞帳が開き、そこに現われたるは異様なほどに横長な大スクリーン! なんとアスペクト比にして1×2.88!

「これはもしや……」
 さしもの探偵もいたく驚き、思わず立ち上がり、そして叫んだ。
「おお、なんということだろう。おお。おお。これはシネラマではないか!」
「ほほう、そちらのお客様、お目が高うござりまする。如何にも、ご覧にいれたるは今や本朝では既に絶滅して久しい超弩級上映技術装置・大シネラマスクリーンにござりまする」

 読者諸君に説明しておくと、シネラマとは今を去ること五十年前に誕生した空前にして絶後の映写方式で、湾曲した超特大スクリーンに三台の映写機によって撮影された映像を並べて映し出すという奇想天外な映像魔術である。三本のフィルムと五つのマイクの映写効果により、観客は大迫力の映像世界に投げ出されたかと感じるほどの臨場感・『ラスト・アクション・ヒーロー』観を味わうことが出来たという記録が残っている。しかしながら「撮影に手間がかかる」「一台の映写機でほぼ同様のアスペクト比を実現するウルトラ・パナビジョン方式の登場」といった理由により、程なく映画史の表舞台から姿を消すこととなった。そんな“映画界の戦艦大和”と呼ぶに相応しい悲劇の弩級スクリーンを用いてシルクハット男が企む陰謀の真意、それはまだ読者各位に明かすわけにはいかない。ここでは、探偵ヒモロギが体験した恐ろしい一夜の出来事を淡々と記すのみに留めたい。

「ブラボー、おお、ブラボー。シネラマだなんて、僕も実物は初めて見たよ。して、この装置はまだ生きているのかね」
「無論でござりまする。そうでなければ見世物になりませぬからして。何れも様にはこれから映画を数本、こちらのシネラマにて御覧頂きたく存じます」
「ほほう、モノはもしかして『2001年宇宙の旅』あたりかね。聞いたところによれば、シネラマで観る『2001年』のスターゲイト突入シーンなどはまさに離魂脱魂の心持ちというじゃないか。ぜひ体験したいものだと常々思っていたのだよ」
「ははは、お客様。たしかにシネラマで観る『2001年』はじつに素晴らしいものですな。お見せしたいのは山々ですが、しかしそれでは意味がありませぬ。なにしろ我々がお見せしたいのは、シネラマを想定して作られていない近年の映画をシネラマ化して映し出す魔法のような新技術なのですからして」
「そんな! 不可能だ! 君はきちがいかね。三台のカメラで撮らなければ1×2.88のスクリーンいっぱいに画面を映すことなど出来るわけがないじゃないか。撮られていない残り二台分の映像を、どうやってスクリーンに映し出すというのだ。そんなペテンのような話があるものか!」
「お客様のお疑い、至極最も当然でござりまする。しかしながら、論より証拠とはよくいったもの。実際に観ていただくに越したことはありますまい。それでは我々の開発した新技術、名づけて『人間シネラマ』、とくと御見物いただきたく存じます」

 ブザーが鳴り、場内は暗転し、1×2.88のスクリーンが白い光を放ち始めた。そして、探偵にとっては一生忘れられぬこととなる酸鼻にして過酷な猟奇の宴もまた、この時ひそかに幕を開けてしまったのであった……。