名探偵、赤テントの怪人に戦慄する事


 さて、話は少しさかのぼり、名探偵ヒモロギ氏と幽囚の鉄仮面氏が出会う数週間前のこと。

 ヒモロギ氏はいつものように昼ひなかから街を独歩していた。ヒモロギ氏は名探偵ではあったが、名探偵だからといって常に仕事があるというものでもない。そもそも彼は映画犯罪専門の探偵であるため知名度も低く、それを補う営業能力も持ち合わせてはいなかった(この数ヶ月のうち彼が行なった営業活動といえば「名探偵ヒモロギ音頭」を作詞し、手ずからガリ版で歌詞を刷り、それをデパートの屋上からバラまいたくらいだというのであるから、彼の営業力の貧しさは瞭然であろう)。

「これからはブルースだな。21世紀はブルースの世紀だ。音頭じゃなかった。まちがえた」
 探偵は「名探偵ヒモロギのブルース」の詞をぶつぶつと思案しながらいつしか街の散歩者と化した。そして無心でそぞろ歩くうちに、見知らぬ路地へと入り込んでしまった。探偵がふと我に返ると、目の前の電柱に奇怪なビラが貼られているのを見つけた。黒地の紙に鮮血色の赤で「失神者続出 コノ先」と殴り書かれている。いかにも不審な貼り紙ではあるが、生来の猟奇者であるヒモロギ氏の胸は高鳴った。いったいこれは何のポスターなのだろうか。

 更に少し歩くと、次の電信柱にはやはり黒地に赤の筆文字で「みたら発狂 コノ先」とある。
「ははあ、渡辺文樹がまた新作の自主映画でも作ったか。まったく、彼の映画が街に来ると景観が猟奇になるからいかんね」
 良識ぶったその台詞とは裏腹に、ヒモロギ氏は内心喜々としてポスターの指し示す矢印の先へと歩みを進めた。如何物〔いかもの〕食いの彼は、こうした類の趣味の悪い催しが大好きなのだ。
「必ず吐く。着替え必須 コノ先」
「子供と妊婦はくるな コノ先」
「カタワとキチガイは無料 コノ先」

 点在するポスターに記された矢印をたどり、うらぶれた路地を右へ左へ曲がり、そうこうするうちに突然視界が開けた。
「おお、こんなところに原っぱが」
 これにはさすがのヒモロギ氏も驚いた。そして更に驚くべきことには、野原の向こうには、大きな大きな赤テントが風をはらんでバサバサと蝙蝠の羽ばたきのごとき異様な音を立て、じつに不気味な姿で屹立しているではないか。そして吹きすさぶ寒風に晒されながら立ちつくす影がもう一つ。巨大テントの入り口には一人の男が立っていた。よれよれのタキシードに赤くくすんだ蝶ネクタイ、不恰好な象牙製の仮面をかぶった異様な男だ。その怪人が、探偵のほうをじっと見つめて、そしてユラリユラリと手招きをするのだった。
「奇態な。なにやらジグソウのような奴がいるぞ」
 ヒモロギ氏は彼の姿に『ソウ』に登場する連続殺人犯・ジグソウの姿を想起した。これはあくまで彼の直感による連想で、実際怪人の姿はそれほどジグソウに似ていたわけではない。しかし、彼の探偵としての直観力は、このとき既に怪人の内面的輪郭を的確に切り抜いていたのであった!


「ところでその」
「なんだい鉄仮面くん」
「『ソウ』は面白かったですか」
「そこかよ。僕の意味深な述懐を聞いておいて、引っかかったのはそこだけなのかい君は」
「はあ。未見なもので。すみません」
「前半100点。後半60点。平均80点。ゆえに合格」
「ははあ」
「気がつくときたない部屋に二人のおっさんがつながれてんだぜ。理由もわからないままで。しかもロクな道具もないのにそこから脱出しなくちゃならないんだぜ。このシチュエーションだけで僕のような猟奇者は大満足だね」
「それをいったら、私だって理由もわからぬまま土蔵に閉じ込められていますが」
「まあね。でもほら、君は一人じゃないの。一人じゃ密室劇としての面白みに欠けるところがあるよね」
「いや、隣の房にはシャム双子の姉妹がいますよ。ここに来るとき見ませんでした?」
「ええっ! なんだって!」
「片方は恋愛映画好きで、片方はホラー映画を偏愛しているんです」
「ええっ! そんな魅力的なキャラがっ! 紹介してくれっ!」(つづく)