『サランドラ』


 こんにちは、ヒモロギです。自称探偵にして映画感想家でもある僕が、今日も今日とて観た映画の感想を書くよ。なにしろ、映画のことばかり考えて、映画のことばかり書き綴るのが映画感想家のつとめだからね。

 どのくらい映画のことばかり考えているかというと、あまりに映画のことばかり考えすぎるがゆえに、洗濯機の「すすぎ」ランプの点滅が某映画評論家の人名であるところの「おすぎ」に見えてしまい、ソフランまみれのおすぎがドラムの中から「61年生きててよかった! 防臭もできるミクロの香り成分に出会えてよかった!」といった誇大な宣伝文句を発しつつ飛び出してきたらどうしよう、それはいやだ、あたしこわい、などという無用な不安に襲われて睡眠障害におちいったり、テレビのニュースで流れた「ジーコ監督」というフレーズが「ピーコ監督」と聴こえ、監督の影響を受けた我らが日本代表が『アタック・ナンバーハーフ』みたいなおかま集団になってしまったらどうしよう、などといったような想像をたくましくしてワールドカップでの日本の活躍を早くも絶望視する、というくらい映画のことばかり考えているんですよ。これが映画感想家の生きざまですよ。

 というか、映画評論家のおすぎはともかく、ピーコの妄想エピソードまではこの場合必要ありませんでしたね。これじゃ映画好きじゃなくてただのおかま好きじゃないのよ。映画感想を市民の皆様に提供するうえでは、まったくもって必要のない情報をたらたら書き連ねちゃったわよ。んもう!

 必要ないもの、というのは絶対的にせよ相対的にせよ、厳然として世の中に存在するわけで。たとえば、僕にとって必要でないものを挙げ連ねると、野球中継・夫婦茶碗3DOリアル・細木数子の薀蓄・JR総武線快速のグリーン車両・ゴキブリ目(網翅目) ・朝鮮半島・おかま・他人の映画評、などなど。言ってみれば、おすぎの映画評などというものは僕にとって二乗に必要ないしろものなのである。おすぎの映画評よ、レティクル座ベータ星の彼方へ消え去れ!

 ゴキゲン食人一家の殺人映画『サランドラ』の感想を書こうとしたところ、どうにも前置きが長くなりすぎました。というのも、僕はこの映画をニコニコ楽しく絶賛大鑑賞したのですが、ネットに散らばる映画感想サイト各位を読んでみたところその評価たるや惨憺たるもの。『サランドラ』に「28年生きててよかった!」などという最大級の賛辞を送ろうとしていた僕にとってはこれこそジョギリ・ショックです。しょせん他人の映画評なんて、おすぎのだろうと誰のだろうと、まったくもって意味がない、必要のないものなんですね。他人の映画評なんてごみみたいなものだ!
 自らのブログの存在意義を思いっきり否定しつつ今日はこのへんで。かんじんの『サランドラ』感想をまったく書いてないような気がしてならないのですが、まあそのうちに改めて。


 ぐだぐだついでに今日の日記。
 ヤフーのテレビ欄を見ていたら、TBSが映画版『いま、会いにゆきます』を放映する時間帯、テレ朝ではスティーブン・セガール師範の『DENGEKI』を放映することになっていました。視聴率的な勝敗はこれ明らかなのですが、『DENGEKI』のラテ欄には「▽いま、殴りにゆきます…今夜は鉄拳制裁!!」などと書かれていて、僕はその幼稚なことばあそびに感動の涙を流さずにはいられませんでした。いま、殴りにゆきます……なにこのフレーズ頭わるくてテレ東っぽくてかっこいい!