(1)はしがき

 そのころ、東京中の町という町、映画館という映画館では、ふたり以上の人が顔をあわせさえすれば、まるでお天気のあいさつでもするように、怪人「二十世紀FOX面相」のうわさをしていました。
「二十世紀FOX面相」というのは、毎日毎日、新聞記事をにぎわしている、ふしぎな怪人のあだ名です。その賊は、20世紀FOX社の映画をあまりに愛しすぎるあまり、他の人たちにも20世紀FOX映画を観てほしい、たとえ興味がなかろうと、力ずくでも見せねば気がすまぬという、実に恐ろしくもはた迷惑な男でした。

 この賊の手口というのは、たとえばこうです。

 ある新作映画の封切りをむかえた新宿の映画館「メトロポール新宿」での出来事。新作映画への期待に胸をふくらませながら本編前の予告を観ていた満員の観客たちが、
「そろそろNO MORE 映画泥棒のしょうもない小芝居が始まる頃合いかしら」
と、いささかうんざりしながら身構えていると、とつじょスクリーンが暗転し、場内は真っ暗になり、次のしゅんかん、スクリーン前のステージには、頭はカメラ、体は黒スーツといういでたちの怪人がいて、観客を見回しながらへらへらと笑っているではありませんか。それはまさしく「NO MORE 映画泥棒」に登場する映画泥棒そのものでした。

 怪人は「NO MORE 映画泥棒」をまねたうす気味わるい舞踏をくねくねと踊りだし、顔の表情はおよそうかがい知れませんが、どことなく満足げなようす。なおも観客があぜんとしていると、背後のスクリーンがふたたび大暗転。その真っ黒な画面には赤い血文字で「FOX映画、みないと死ぬで」というメッセージがおどろおどろしく表示され、そして壇上の怪人はよりいっそう激しく、ダンサブルに、まるできちがいのようにくねくね踊りを続けるのです。

 劇場内は大パニックになり、観客はなだれをうって逃げだそうとするのですが時おそし、シアターの全ての扉には外側から鍵がかけられ、まるで『デモンズ』の惨劇が再現されたかのようです。悲鳴と怒号が入り混じるなか、開演のブザーが会場内に重々しくひびきわたり、かくして20世紀FOX映画『アバター《特別編》』が幕を開けるのです……。
「やめろ、ええい、やめたまえ! なんで今さら『アバター』を観なけりゃならんのだ!」
「そもそもこの映画、内容カラッポなのに長すぎるんだよ!」
「上映時間が162分もあるなんてどうかしてるよ!」
「いいえ、これは《特別編》だから171分だわ!」
「これはもはやエンターテイメントの名を借りた合法的な拷問だぞ!」
「ウワーッ、しかも画面は3D仕様じゃないか! せめて3Dメガネを貸してくれーっ!」
 館内は阿鼻叫喚のきわみ、八大地獄のひとつである大叫喚地獄がとつじょ現世に出現したかのような、実にさんたんたるありさまです。

 かくして『アバター《特別編》』の上映が終わった171分後、異変に気づいた警察がようやくのことで映画館に踏みこんでみると、そこにいたのはぐるぐるに縛られさるぐつわをかまされた映画館の従業員と、精気をうしない白痴のごとき顔つきでたたずむあわれな観客たちばかりで、かんじんの怪賊「二十世紀FOX面相」の痕跡はどこにも見つけることが出来ませんでした。まさに大胆不敵、傍若無人のふるまいといわざるをえません。

 しかし、この魔術師のような稀代の大怪賊にも弱点はあります。それは宿敵である映画探偵ヒモロギ小十郎の存在です。中野の開化アパートに事務所を構える彼は、今まで幾度となく二十世紀FOX面相と対決し、その激しい闘争のすえ、なんどもこの怪人を追いつめることに成功しているのです。半年前、刑務所から脱獄し、次第に力を回復しつつある劇場型怪人と高等遊民の映画探偵、竜虎二傑の対決は、いよいよ間近にせまっているのかもしれません……。